事務所移転のお知らせ
2010 年 7 月 5 日平素は大変お世話になっております。
2010年7月1日より、事務所を埼玉県朝霞市に移転いたしました。
より一層みなさまのお役に立てますよう。また初心に戻り気を引き締めて精進してまいりますので、今後とも末永くよろしくお願いいたします。
サン・エンジン 代表より
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平素は大変お世話になっております。
2010年7月1日より、事務所を埼玉県朝霞市に移転いたしました。
より一層みなさまのお役に立てますよう。また初心に戻り気を引き締めて精進してまいりますので、今後とも末永くよろしくお願いいたします。
サン・エンジン 代表より
最近のネットニュースは、ニュースなのかコラムなのかゴシップなのかわからないようなものがトップニュースに混じっているように感じます。
ニュースになるようなニュースがあまり無い、平和な国ということなんでしょうか。もしくは取材費用が無い、政治などに関する辛辣な記事を書いてもアクセスが上がらないのか、両方でしょうか。
そんな事を思いながらもついつい読んでしまうのですが、今日面白いなと思ったニュースは以下の2件です。
約 9割のビジネス書は、ゴーストライターが書いている
なぜ30代前半になると、“ゆきづまって”くるのだろうか
「約 9割のビジネス書は、ゴーストライターが書いている」、に関しては、もともとそういうものなんだろうなと思っていたので、内容に驚いたわけでは無かったのですが、流石にこの記事の文章の流れが良かった事が注目でした。
多分、書く事を仕事にしている人が自分が書きたかった事を書くとこのくらいのクォリティになるんでしょうね(笑)
普段思っている事を吐き出す(要するに愚痴に近い内容)にしても、このくらいの完成度があると見事だなぁと感心しました。流石です。
きっと、内容から読者が文章の出来に対して厳しい目を向けるだろう事は予想して何度も推敲をされているのでしょう。
そういう意味で面白いな、と思って読んでいました。
(私の文章はあまり推敲しないでだらだら書いているので読みにくいと思います。人の文章に意見できる立場では全く無いです。)
「なぜ30代前半になると、“ゆきづまって”くるのだろうか」に関しては、自分自身がまさしくこの世代であり、タイムリーに直面しているモチベーション維持への葛藤について触れていたのが、自分を見直すきっかけになったので良かったです。
社会人10年目、そろそろ自分は一人前だと自負する頃に、成長が止まるか伸び続けるかの格差が生じて来る。
この言葉は恐ろしいですね。
未経験の事や新しい事はそれを修めるまでは、がむしゃらに習得意欲を燃やす事が、特に若いうちは好奇心の手伝いもあり勢い良くできると思うのですが、もう既に何度も通り慣れた道を行くのに、好奇心を維持して新しい発見をしようと思うのは難しい作業になってきます。
だったらまた新しい道を開拓し続ければいいのじゃないか、というと、今度は好奇心よりも恐れが大きくなったり、面倒臭さや既に居るポジションへの落ち着き、安心感から離れにくくなってしまいますよね。
私自身、仕事に対して、新しい分野へのチャレンジしたいという気持ちは持ち続けているのですが、例えそれを行ったところで収益アップへどう繋がって行くか、保証のある話では無いので、どうしても後回し後回しと予定を押してしまっています。
「仕事が有るから技術を習得する、のではなく、技術があるから仕事が発生するんだ」
と考えることもあったり、
「技術を覚えても仕事が無ければ時間の無駄になるから、仕事に関する技術により精通するべきだ」
と迷う事もあったりして、
自分の出す答えは「両方頑張ればいいじゃないか」なんですが。なかなかエネルギーが湧いて来なかったりします。
以前会社に居た時に思い描いていたビジョンでは、自分がこの世代(中年?というのでしょうか。若くも無く老練にはほど遠い中間の世代という意味で)になる頃には、20代の若い世代への指導や営業的な外回りの仕事が増えて行くんじゃないのかと予想していたのですが、そんなビジョンは自分に裏切られてしまい、独立してしまったので、多少長期的なビジョンが宙に浮いてしまっている感じはします。
バリバリと現場で現役で働くのにも、体力は衰えて行くんじゃないのかという漠然とした恐れもあります。きっとみんな、30代前半は何をやっていたとしても同じように道を模索する時期に突入しているのではないでしょうか。
自分の人生が予定と違う方向に流れてしまっている人。予定通り進んでいるはずなのに心理的にしっくりこなかったり、落ち着かない焦燥感に捕われる人、そういう人は同世代の友人で多いです。
なんにせよ、一人で悩みを抱えていても袋小路なのは間違いない、未来予想という答えの出ない問いかけを行い続ける事になるので、そういう時には仲間と飲むのが一番!なのかな…。と思いました(笑)
頑張っている人や元気な人からは、無料でエネルギーをもらえるそうです。
笑顔はいくらでも盗めるから盗んだもん勝ち、ってことのようです。
平素は大変お世話になっております。
事務所移転に伴い、6/10〜7/1の期間中、断続的に作業が滞る時期が発生いたします。
上記期間中でも、予めスケジュールをご連絡いただくことにより、各種作業の対応をさせていただきます。
ご迷惑をおかけいたしますが、何卒よろしくお願いいたします。
アドビ、「iPhone」用「Flash」の開発を中止
うーん。仲良くして欲しかったな…。
モバイルというツールでFlashは必ずしも必須ではないとは思うし、Apple製品を使い続けてきて、Windowsに比べて確かにソフトは少ないけどそれを凌ぐ使い心地の良さがあるので、今後も使い続けるとは思うから、Appleの将来性に疑問を抱くまでは無いけれど。
HTML5でどれだけカバーできるのか。
どちらにせよブラウザとプラットフォームは今後も様々な環境に対してのフォローが引き続き必要になるので、制作の負担は減らない…。
良い事なんだろうけど。進化の方向性が多いのは。
なんだかんだと気がついたら3年目に突入しました。
(誕生日と同じくらい忘れそうでした。)
これまで関わっていただいた皆様に非常に感謝しています。
これからも本当によろしくお願いいたします。
今年も頑張ります。
Amazonで月1〜3回は買い物します。
なんといっても送料無料! 自分で買いにいくよりよっぽど時間もコストも短縮なので気軽に買ってます。
うちは都内ではないのですが、ほとんど距離的には準24区くらいの近さなので、お急ぎ便になどしなくても普通に夕方注文したら次の日の午前中には自宅に届きます。
で、気がつくとAmazonって書いてあるダンボールの箱が溜まっていくんです。
CD1つ買ってもあのおなじみのA4サイズのダンボールに入ってくる。
いくらタダでもこれは資源の無駄だなぁと罪悪感を感じます。
前にジュンク堂のネットブックストアで本を買ったときはその簡易過ぎるくらいの包装にむしろ感動しました。本をちょっと紙に包んで送ってきました。このくらいで絶対十分。
ただ、Amazonみたいに壊れ物を扱うようなショップではクレームやら欠損やら対応するよりダンボールで手厚く覆ってしまえ、というほうが合理的なのも分かります。
なので、私みたいなヘビーユーザー(?)対象に、使い回せる包装の箱とか作ってくれたらいいと思うんですが。引っ越し業者が捨てない梱包用具とか使ってるじゃないですか、あれで。
デポジットを先払いしても別にかまわないので。次の注文の時にでも回収してくれれば。
将来、私が買ってるような本やCD-ROM系はだいたいネット配信になっていくんでしょうか。
そうするとマウスとかキーボードとかHDDとか、サイズが一定しない商品くらいになるのかな、配送をお願いするのは。だったらやっぱりダンボール包装は避けられないのかなぁ
以上、つぶやきでした。
まず、紙資源をますます無駄にしない。ゴミを出さない、作らないというエコ商品だから。
そして携帯性と機動性。
例えば書籍だと持ち運び重たいし、ブックマークやしおりを忘れたり、自分なりのメモを書き留めたり本の文章から一部コピーする、などという事も今後はタブレットで解消されていくことだと思います。
持ち運べる薄型パソコンもありますが、携帯電話の感覚で取り出してすぐ表示させたい、というがおそらくiPadではできるようになります。
これ一台で、計算機、メモ帳、スケジュール帳、学生なら教科書に参考書にノート。すべての機能がつまります。
今私の部屋は本があふれて本棚におさまりきれませんが、部屋が広く使えます。
あとは検索性。辞書はすでに電子辞書として普及しましたが、教科書や参考書のキーワード検索も行えるようになれば、きっと便利になってもう今時本なんて古いよね、っていう時代が必ず来ます。
あとは、中間コスト削減による低価格化。
本の出版にかかっていた費用、輸送コストなど、ネットに接続可能なら一切不要になります。
本の著作者に還元する印税もアップします。
マイナス面をあげるとすれば、やっぱり人間は「書く」ことを身体でやって「記憶」する生き物なので、書いたメモとか、読み終わった本とかっていう目に見える物質があるほうが、記憶力アップや思考力アップにいいと思います。
私の経験では、すでにネットで物質にない電子情報をやりとりして長年仕事していますが、とことん記憶力は低下しました。でもこれは個人的な問題かもしれないので、一概には言えないでしょうけど。記憶するには「書く」ことは有用であると思います。
あとは、思考の整理にも、絵を描く技術を身につけるのも「描く」は幼い頃から慣れ親しんだ方法です。
将来的にこれから産まれて来る子供達は、そういうの全部パソコンの中でやっていくんだろうなと思うと、多分思考力が低下することは無く、ネィティブでパソコンに親和性のあるハイパー子供達になっていくんでしょうけど、ちょっと寂しい気もします。
だからこそタブレットで擬似的に「描く」ようなのは、いいんだろうな。と
問題はすでに瀕死の出版業界へのダメージです。
コピーができたり、ますます海賊版が出回ることになるでしょう。音楽業界もそれで壊滅的です。
出版も音楽も、世の中に無くてはならない素晴らしい仕事なのに、評価されても収入にならない、そんな現状のシステムはなにか新しい方法を考えて、良いもの、良い仕事には資金の還元がもたらされる世の中のしくみづくり、それが今世紀に必要な改革だと思います。
たとえば、iPhoneではすでにAppleで独占されているアプリの販売。
Flashが使えないというブーイングもさることながら、携帯電話と同じように課金システムが整っており、ダウンロードが有料でちゃんと請求できているのはビジネスモデルとしてしっかりしていると思います。
NTTやAppleによる独占が悪いというよりは、なんでも無料でできてしまうのが当たり前になっているユーザーの意識改革が必要なんだと思います。
独占禁止法とかありますが、これは改正して、市場を独占するのではなく、営利分配する中心となる企業は国境を越えた優良企業として、むしろ国家につぐ重要な地位、役割と義務を与えるべきだと思います。
今までは競争社会がすばらしいで企業同士を争わせて文明を進歩させていきましたが、これからは企業の内部を透明化した、株主やユーザーによる要望に応える新しいグローバル企業という存在が世界を率いるのではないかと思います。
世界共通の1つのルール(ビジネスモデル)をグローバル企業が管理し、利益をむさぼらず著作権を守りプログラマ、デザイナ、作家、歌手、作曲家、その他のコンテンツ制作事業者に妥当な報酬を分配する。そんな世の中は幸せそうです。
今までは車とかコンピューターとか、形ある物質的な繁栄を築いてきた人類ですが、美術や音楽や哲学のさらなる繁栄も今後力を入れてみてはどうでしょうか。
あ、またiPadの話からどんどん膨らんでしまうので、そろそろ終了します。
仕事で使うCDをMacのトレイに入れて、クローズしてからしばらくたってもデスクトップにアイコン出てこないし、認識もしないし、はて。と思って取り出そうとキーボードの取り出しボタンを押してもうんともすんとも言わなくなり、しばらく苦しみました。
解決方法は、ネットで検索した「再起動中マウスのボタンを押しっぱなしにする」でした。
開きました。
解決はしましたが、もとよりアップル製品のデザインは秀逸だけど、デザイン優先してたまに使い勝手の悪い機能があることも事実。G5の場合、CD取り出しがデフォルトではキーボードに付いているボタンしか無い。
G4など旧世代からおなじみの強制排出ボタン(トレイ右横)も、G5の場合は外側の通気口の穴から見えにくいし届きにくい状態でピンを差し込むしかなく、今回はそのボタンを押しても反応しなかった。
過去の経験から「再起動中に『C』ボタンを押し続けてCD起動」を試すものの反応は無し。
ネットで調べて、「Open Firewareコマンドを使って取り出す方法」を試すも、「白い画面」というものが現れず断念。
ネットの口コミで「そうなったらもう修理に出すしか無い」という書き込みを見て、仕事があるのでそんな時間はないぞと青くなっていたら、「Macの情報共有広場」というサイトで「CDやDVDが取り出せない」という記事から「Mac再起動後マウスを押したままの状態で、しばらく待つ」という方法を発見。これを試したら、まるで何事も無かったかのようにトレイが開きました。
フーと一瞬慌てるも、やっぱり外付け買わないと駄目なのかなぁとつくづく思ったのですが、うちにはもうWindows用の外付けがあって、Mac用にももう1台買うっていうと、最近ではめったに使用しないCDやDVDのためにそこまで出費するのかなぁ、っていう気分になりました。Windowsのやつだって年に2、3回程度しか使ってないよ。
次記事では、情報収集の戦利品(?)の、FinderからCDトレイを開く方法について、です。
同業者の間ではもはやiPhoneは当たり前のツールになっていますが、自宅がSBの圏外なので自分は持っていませんでした。
しかし、今後おそらく飛躍的に進化するであろうモバイルPC、きっと世界を変えるであろう新しい形になるんでしょうね、タブレットPC。
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1001/28/news024.html
おそらく5万円前後と見られる日本での販売価格。きっと、デスクトップとタブレットは、作業用と閲覧用という形で2分化していくんじゃないでしょうか。
Iphone同様に、おそらく様々なアプリが発売されるものと思います。
個人的に、絶対出るだろうし欲しいのは、絵を描いたりメモを手書きでできるアプリ。スケッチブックではなくiPadを持ってでかければ他の道具持たずに絵をいつでもどこでも描けますね。
プレゼンの時に、(手書きでいいんですけどね)さっと図を描いたりして説明して、写真の素材とかレイアウトを話し合いながらちょちょっと動かしたり。それを保存したり、とにかく、紙の企画書ではなく全員1台のiPad持って同期させてプレゼンしていけば、プレゼンの日の朝に一生懸命プリントアウトだの文字チェックだの慌てなくていいんですよね!
予想として次世代機にはカメラ付きかカメラ接続機器が出ると思います。
撮影したその場で大画面でチェックしたり、持ち運べるテレビのように使ったり。うーん夢が広がる。
きっとこれは買わなければいけなくなるだろうな、仕事的に。と思う1台です。
※しかし私自身あまり外出しないので、iPhoneと同様、使い道が無いかもしれませんが。
仕事で、Coming Soonのつづりってこれで合ってたっけ?とぐぐったら、以下のような面白いサイトにたどり着きました。
http://nakamurahiroki.com/coming/
で、この全力で悪ふざけさ加減に、こういうの好きだなぁと思ってURLを遡ったら
http://www.nakamurahiroki.com/
上のようなクリエイターさんのブログ。記事も面白い。
このかたは以前自分のブログで仕事のネタばらしをしていて、コンプライアンスの問題でそのブログの閉鎖を余儀なくされたらしいです。
たしかに、以下の
http://nakamurahiroki.com/404/
このコンテンツなんて、使ってる素材からしてなにかの規制に絶対ひっかかるはずなんですが、使っている技術、センス、企画性ともに素晴らしいクリエイターさんであることは間違いないと思います。
私が業界のことに疎いだけできっとすでに相当有名な方なんでしょうけれど。
つくづく、ブログって気をつけないといけないですね。
自分と年齢も変わらないのに、いろいろアワードを獲られててすごい方のようです。このかたの今後のご活躍を期待しています。
得意先の新年会に参加させていただきました。
会社の新年会なんて、居酒屋などでまったり仕事の愚痴でも言い合うものとしか想像していなかったのに、100名以上もお集りになる立食形式のおしゃれなパーティにお呼ばれしてしまい、大変場に浮いた感じになってしまいました。
ザ・業界、という感じで皆さん華やかだなぁ、と、違う世界の人々を見ているような気分になりつつ、反面、バイタリティに溢れている方々からエネルギーをもらって、自分ももっとエネルギッシュに営業活動などしないとなぁという気持ちにもなりました。
何名かの方と名刺交換もさせていただいたのですが、名刺に載せているこのURL上では過去の実績紹介などしておりませんので、ご連絡をいただければ実績をメールなどでご紹介させていただきます。などとお伝えして回ったのですが、もうそのやり取りから積極性の無さがにじみますよね(汗)
「今忙しいですか?」と聞かれて、本当はしばらくちょっと忙しいのですが、それもまるで「忙しいから仕事いらないです」という風に聞こえないかと考えてしまい、素直に答えられなかったりしました。
直近はちょっと忙しいのですが、今後のこともあるのと、自分のレベルアップのために、今はどんな仕事でも武者修行よろしくチャレンジしたいと思うのも本音です。
たくさんの仕事をしたいというより、1つ1つの仕事で全力を出しきって、今の自分の殻を破って高いレベルの仕事をしてみたいという思いと、お客様を幸せにしたい、と考えています。
ただ、自分のキャパシティは限りがあるので、より、この人を幸せにしたい、と思えるようなお客様に恵まれていきたいとも、贅沢ながら思います。
良いお客様が良い仕事を産む。私の出来る事はその流れの一部に参加させていただくことにしか過ぎないと思っています。なので、自分を活かしてくれるお客様との出会いが私自身をも幸せにするんだと思います。
ビジネスでお客様を幸せにしたい、というのはきれい過ぎる話のようかもしれませんが、私は自分とおつきあいしてくださっているお客様や関係者様に本当に、良い仕事をすることでハッピーになっていただければというのが常に目標としてあります。そしてその目標自体が私の職業人としての幸せでもあります。
お客様が喜んでくださるのが仕事の一番の励みだし、次へのモチベーションになるので、とにかく今は今ある仕事を全力で頑張っていきたいとおもいます。
どうか、今後ともビシバシとご指導賜りますよう、お願いいたします。
Macはフリーソフトが少ない。ので、ちょっとしたアプリにも購入にお金がかかるのか、と圧縮ソフトを探していたら、
わかばマークのMacの備忘録 : Zippist
に、いい感じのソフトが紹介されていました。
アイコンもMacらしくってカワイイので気に入りました。
もう上記ブログで詳しく説明されているので、私の説明は不要かもしれませんが、インストールと使い方がちょっと迷うので注意書きを。
※Zippistのアプリは、http://www.box.net/shared/riqei9vpnl より、Zippost1.2dmg.gz というファイル名からダウンロードできます
※フォルダを解凍すると、中にアイコンの画像があるので、それをデスクトップに置きます。
(フォルダの中のその他の書類はチャリティ参加への呼びかけと日本語化についてです)
※アプリは立ち上げずに、圧縮したいフォルダをコマンドを押しながらドラッグ&ドロップでデスクトップのZippistアイコンに重ねてください。(アプリを起動した状態では何も起こりません)
※パスワードを、確認用と2回入力すると、パスワード付き圧縮ファイルが完成します。
その他にも、以下のようにターミナルで操作する方法も
MacでZipとパスワード
最後に、アプリではないけどマックでパスワード付きzipファイルを作る簡単な方法。
1. ターミナルを開いて(アプリケーション > ユーティリティ > ターミナル)
2. zipcloak+(半角スペース)
3. ターミナルにパスワードつけたいzipファイルをドラッグ&ドロップ
4. Enter Passwordで設定したいパスワードを入力
5. Verify Password、もっかいパスワード
これでzipファイルにパスワードがかかります。
$ zipcloak /Users/atelierkinoco/Desktop/hogehoge.zipなんかこんな感じになってればおけー。
慣れれば上記方法も簡単そう。
それにしてもZippistの作者さんは他のソフトがシェアか有償なのに、フリーな上チャリティ募金への呼びかけを行うのみ。
世の中には、居るところには居るんですね、いい人
精神が裕福というか、心は錦?なにか違う…?
仕事をしていたら、気がついたら新年あけていました。
昨年は、ありがとうございました。
今年もよろしくお願いいたします。
皆様のご多幸を心よりお祈り申し上げます。
昨年は、色々ありましたが、総評として本当に仕事にも人にも恵まれた良い年でした。
失敗もあり、その失敗から多くを学ぶ事ができました。
仕事で、思いがけず評価をいただくこともあり、
また、半人前の自分を支え、仕事をレベルアップさせていただける取引先の方。
これからも、恩師と思って、私自身が皆様の支えとなれるよう、
一心に励んで参りたいと思います。
どうぞ、今後も末永く、よろしくお願いいたします。
他にも、至らない私のディレクションによりご迷惑を多々おかけしている
制作ご協力者の方々、
まだまだ本当に未熟者ではございますが、日々勉強と思って、
本当に相手の話に耳が傾けられる、相手の立場にたった視点で仕事が進められるよう
勤めて参りますので、どうか、これからもおつきあいください。
個人的には、忙しさという逃げ口上で、予定していた勉強をほぼ手つかずで
過ごしてしまったことを反省し、今年は、より取引先様のご要望、ニーズのある
方向性での新しいスキルの習得や、既存技術のレベルアップにチャレンジしたいと
思っています。
昨年を通して、自分の仕事に対する、見えていなかった目指すべき
道を教えてくれたのは、ある取引先の女性ディレクターの方でした。
お客さんに、笑顔で制作料金を支払っていただいて、また次の仕事に
繋げるためには、簡単に妥協しないこと、お客様と心が繋がるように
お客様の要望に耳を傾け、お客様のビジネスを研究する事。
「お客様との仕事がライフワーク」とおっしゃったその先輩が
仕事で結果を出され、お客様に信用されていく過程を魅せていただいて
私は、今までの自分は、結果が見えていながら、予想しながらも
それをうまく周りに伝えることができなかったため、チャンスを
逃がし続けていたのだと思いました。
相手の立場、相手が聞きやすい言い方を学び
関係者さまの声をとにかく「聞くために聞く」こと。
それがあって、ようやく、お客様に必要、最適と思われる
プランをご提案していけるのだと思います。
仕事に完璧は無いですが、向上心の無い仕事は時代とともに
レベルダウンするのは必死です。
そして、私は仕事の質は、新しい技術や情報を取り入れる事で
アップすると思っていましたが、それは大間違いでした。
私に今一番求められ得ているレベルアップは、
人の意見をしっかり聞く事、
人に自分の考えを、相手に伝わりやすく伝えていくこと。
これだと思います。
まだしばらく年末年始のスケジュールでバタバタしていると思いますが
落ち着いたら、みなさんにご挨拶に回ったり、新年会を開いたり
したいと思います。
どうぞ、よいお年を!
1月6日 追伸:
「よいお年を」は、年末に、次の年に向けて使うらしいです。
つっこみを、ありがとうございました(笑)
ある男性が、レストランに入ってきました。
シェフ:「ご注文は?」
男性:「そうだね、何かおいしいものを」
シェフは、そのとき一番おすすめのパスタ料理を
テーブルに持っていきました。
男性:「うーん。おいしそうじゃない。そうだ、卵料理が食べたかった」
シェフは、パスタ料理を廃棄して、オムライスを作って
男性に出しました。
男性:「デミグラスソースじゃなくて、ケチャップの普通のやつがいいな」
シェフは、(それなら最初から、ケチャップのオムライスと言ってくれれば
材料が無駄にならなかったのに)と思いました。
この話の問題点は、シェフが、最初に「何かおいしいものを」という
注文を受けたとき、
「それではパスタ料理と、シチューと、オムライスと
どれが一番ご希望に近いですか?」
という質問を怠ったことでした。
何が食べたいのか、例を出して、相手の好きな味、今食べたいものの
形を、少しずつ明確にしていく問いかけを怠ったことです。
また、その男性がレストランの常連さんであったなら
普段の男性の注文から、ある程度の予測を立てられ なければいけません。
男性は「私の食べたいものくらい、もう分かっているでしょう」と考えたから
こそ、シェフに「なにかおいしいものを」という注文の仕方をしたのかもしれません。
お客さんの好みを忘れてしまうシェフは、料理のレシピを増やす前に、
お客さんの好みを書き留めたメモを増やすべきでした。
ゴミ箱に入っている料理をただ眺めて、もったいないと嘆いていても
自分のミスはもう取り返せません。
材料を無駄にして、あれやこれやと作っては出し、作っては出しとしていたら
レストランはつぶれてしまいます。
食材を無駄にしたのは、他でもない、自分だったのです。
シェフは料理の事で頭がいっぱいでした。
しかし、個人経営のレストランの場合は、
ウエイターもシェフ自身が行わなければいけません。
注文の取り方を学ばなければいけなかったのです。
おいしい料理を出すだけがレストランの良さではありません。
居心地の良い雰囲気が味わえるレストランが、良い「お店」なのです。
シェフはそれに気づき、自分の未熟さに深く反省しました。
蓋を開けてみれば、今年も待った無しの年末進行になりました。
先日、ボンドデザインのhiromさんが主催の、フリーランスデザイナーの会合に参加させていただきました。
前々から、案件をお手伝いし合えるフリーランスの仲間ができないかと、hiromさんとお話をしていた件で、有り難いことにhiromさんがミクシーで有志を募っていただいて、私もお声をかけていただくことになりました。
本当にhiromさんには感謝です。(そのうち一緒にお仕事しましょうね。しつこいですね、私)
開業してから、あっという間に2年目に突入して、開業時に立てた事業計画書は見事に白紙に戻されました。
やりたかった勉強もする時間がとれていないし、お会いしたいと思っていた代理店の方にも営業のご挨拶ができていないし、このサイトも相変わらず全くの手つかずです。
それもひとえに、お仕事をくださるお客様のご支援の賜物です。ありがたや、ありがたや。
ここ最近、どうしても手に余ってお引き受けできない、という案件をお断りしていたのですが、そんな中でももし、フリーランスのデザイナー間で協力体制が取れていたら、お断りする事もなく、バックアップとれていたのに、と後悔することがあり、常々「フリーのデザイナーの輪」は必要だなと感じていました。
そこで、今回がチャンス、と、参加されたフリーランスの方にお声をかけさせていただいたところ、数名の方と協力体制を築けるような形になりそうです。本当に嬉しいです。助かります。
今までも、昔からのお知り合いの現在フリーで活動していらっしゃる方に仕事をお願いする機会はあったのですが、全く新しい場でのコミュニケーションが取れました。
私は、自分のデザインセンスにはもともと自身が無い方なので、また、企画を考えたりシステムを考えたり、、、と時間を使っているとデザインにかけられる時間というものにはどうしても制限が出てしまうのがネックでした。
また、逆に企画やコピーなどが得意な人がいれば、制作に専念して、デザインの成果物のクォリティを今よりも上げる事ができると思っていました。システムしかり、Flashしかり、それぞれに専任の人がいれば、もちろん個々のクォリティは高まるはずです。
私自身の能力は急には上げられなくても、作業者が増えることにより、作業時間の割り振りをある部分へ集中させれば、私自身の成果物のクォリティも上げられるはず。
私の長所はマルチタスク・マルチスキルだと勝手に思っているのですが、最悪の場合、独りよがりな制作者に陥ります。
特に、お客さんがあまりかまってくれない(笑)場合は、一人で黙々と何からなにまで作業してしまい、お客さんにとっても、自分にとってもどこかに問題を残したままで納品まで行ってしまう事があります。長い付き合いでお互いに安心感あるのは嬉しい事なのですが、たまに「これで本当に良かったのかな・・」と思う事も。
(言ってくれれば対応します!と思っていても、お客さんによっては、いいづらいから、と、細かいご指摘をされずにいらっしゃる方がいるような気がしています。私がよっぽど頑固に見えるんでしょうか・・・私も一応、いいなりなままではなく制作者としての制作の意図を伝えるために言い返したりはするんですが、それが駄目なんでしょうね。お客さんによっては逆にとことんオープンに話し合ってご満足いただいている方もいるのですが、こればかりは本来は、お客さんのタイプではなく私自身のあり方の問題なのかと反省しています。)
それをどう解消するか、それについて一番の対応策と思っているのが、同業者との協力でした。
お客様には言えないことでも、同業者や同じ立場の人間だから言えるような事もあるかと思います。
例えば自分では「こんなものかな」と思ったレベルでも、それを「もっとこうしたほうが良い」と言って刺激してくれるような人。実務を経験しているデザイナー同士ならではのやりとりがあると思います。そういう輪が「張り合い」を産み、より良いサービスをお客様にご提供できるようになるんじゃないかと期待しています。
とりあえず、年末進行は新しいご協力者の方々と、楽しくお仕事ができればいいなと思っています。
WEBサイトは、データ上の制作物です。
無形・バーチャルなものに近いため、なかなか想像がしにくいと、よく言われます。
なので、分かりやすく、例えばあるあるお菓子ついて、プロモーションを行うとします。
お菓子を売るための方法は3つ。
・お菓子を美味しくする
・美味しそうなパッケージデザインをする
・その商品を多くのお店で売る
「お菓子を美味しくする」が、クライアントの役割で
「美味しそうなパッケージデザインをする」がデザイナーの役割で
「商品をお店に陳列する」のが広告代理店の役割です。
(※あくまで例えとして)
まず商品がお店に並ばないと、商品は売れません。
商品が美味しそうに見えないと、商品は売れません。
商品自体が美味しくないと、商品の販売数は増えません。
時代は「その食品の安全性」や「健康にいいのか」「安さ」「低カロリー」など
あらゆる販売ドレンドを商品に問います。
パッケージデザインの役割は大きく、その商品の魅力を分かりやすく消費者に伝えるものでなければいけません。
ですが、
商品の味を変えることは、デザイナーの仕事ではありません。
商品の値段を決めることも、デザイナーの仕事ではありません。
それでもデザイナーに出来る限り、商品を目立たせるパッケージデザインをすることで、商品の販売数を伸ばす。それが目的の仕事です。
その美味しさで、時代を問わず愛され続けるお菓子は、パッケージが良いかというと、どうでしょうか。案外そうでもなかったりします。
パッケージが良いだけで売れる、のは本当に新商品が出てすぐ、インプレッションの効果限定です。
次に商品の情報を読み、価格を見て、本当に買うかどうか消費者は選びます。
また、口コミなどで、美味しかったという知人に勧められれば、商品の名前だけで売れることもあると思います。
また、すごく美味しい商品でも、買いにいくのに隣町まで行かなければならないような商品は、それほど美味しく無くても近くのお店ですぐ手に入る商品で代用されてしまいそうです。
それでも、デザイナーは与えられた権限の範囲内で仕事を尽くします。
クライアント様から「前年比から伸びた」や「ランキングで順位が上がった」、そういう嬉しい声を聞くことも、デザイナーのやりがいです。
でもそれは、クライアント様のお力であって、デザイナーの力は微々たるものです。
私はWEBデザイナーであって、パッケージのデザイナーではありませんが、商品自体のプロダクトデザインではなく、あくまで広告デザインをメインとする意味では、パッケージに似たような位置かもしれません。
WEBサイトそのものが売上げを左右する場合もあります。
例えば、どんなにいい商品でもどうやって買うか分からない販売サイト、クレジットカード情報を入れるのに躊躇しそうな怪しげなサイトデザインなどがその例です。
見るからにまずそうなパッケージの商品では、商品の味がいくらよくても売れない。
その分野がデザイナーのリング・土俵です。
例えばプロデューサーとか、コンサルタントという分野の職なら、もう少し踏み込んでご提案できる企画もあるのかなと思います。
WEBの専門家としてクライアント様の技術的な疑問に答えていくことも仕事です。
しかし技術については日頃からチェックできても、商品知識についてどこまで日常から知っておく事ができるか、商品トレンドの研究になってくると営業さんやディレクターさんに敵わないです。
どうしても付け焼き刃になる。だからそこで協力体制が必要になってくる。
商品知識はクライアント様が最も持っている情報ですし、販売知識は代理店の方が一番持っている情報で、WEBデザイナーとしてはやはりWEB技術とデザインに関しての専門家であるべきだと思います。
まずデザイナーの本分を全うすることが、今の私に求められている仕事だと思っています。
そして、それを評価してくださってるお客様に、今支えられています。
ちゃんと結果や数字が出ている仕事もあります。なによりどの仕事もきちんと本気で向き合って全力を尽くしているという自信はあります。
三位一体となって、本当に結果が出せる。
ですからクライアント、代理店、プロダクションがどうやって協力し合い、本気を出し合えるか、それが問題です。対立しあっては進めません。
・・・・・そんな事を悶々と悩みながら仕事する日もあります。
ようやく分かった(再編集)
http://coliss.com/articles/build-websites/operation/design/20-photoshop-tips-for-a-faster-workflow.html
コリスさんに出てました。
うう。。。。
もう、タイトルで何が言いたいかを全て表現してみました。
これ、入れたいです。
→フェンリル、IE6で表示するとクマーがIE8への乗り換えを促すJavaScriptを公開
クマー!って叫べば、なんとなく嫌な気分せずにアップグレードできそうじゃないですか?
ダメですか?企業のHPからクマ出したら。
(とりあえずこのサイトに入れてみよう……。あっ、出た出た。)
WEB標準に従わないといけない時代だし・・・でもIE6でもちゃんと見れて当然だよね?
っていう、正直、もうどうしたらいいんでしょうか、わかりません。
未だにFlash4以下を入れているようなものですよ。
FlashならバージョンMX以下切り捨てで、ソフトが無ければ見えませんで済むので、
WEBも「このパソコンはIE6なので見れません」じゃ駄目なんでしょうかと(笑)
まず、ブラウザを「インターネット」って呼んでいて、ブラウザっていう意味も分からない、って人もいるんでしょうけど、アップグレードの勧告が弱すぎるせいも大きいですよね。
新しいUIになったらなんだか使い慣れていないし、ブックマークの移動とか難しそうだし。
とにかく変化が怖い。ウイルスが怖い。会社のファイヤーウォールの問題でダウンロードできない。わからなくもないんですけど。
どっかで強制的にIE6のサポートを打ち切ってくれないといけなかったような気がするけど、続行を宣言しちゃったし。
多分、IE7にする? FireFoxにする? ってユーザーが迷った時点で、IEがさらにシェアを落とすことを恐れているんじゃないかと思いますが。
本当にユーザーが使いやすいと思うソフトを提供す…モゴモゴ。
だったらもう以前のようにテーブルレイアウトで作りたいくらいなんだけど、CMS化だMTだという要望からもCSS化は逃れられないわけですよね。
良く考えなくても、作業時間のけっこうな割合をIE6デバッグに費やしているわけですので、もしIE6からせめて7以上にしてくれたら、ものすごいエコなんですよ!
電気代だけ考えても、IE6をサポートするために使われている世界的な消費電力はきっと小さな原発1機分くらいじゃないかと……!
昨今のエコブームにのっとり、企業がIE6脱却をPRしてもいいのじゃないかと……!
アニュアルレポートとかに、植林しました、環境エネルギー導入しました、IE7導入しました。って!(一般の人にPRできないからしないんですよね分かります)
現状のIE6減少傾向のスピードを見ると、サポート対応外にできるまであと5年はかかりそうだなぁ。
2001年から2015年くらいまでシェアをキープしたブラウザとして歴史に残りそうです。
IE6にパッチみたいなやつで、CSSデバッガーを内蔵しようと思えば、できなくもないんじゃないでしょうか。IE6のエンジンのさらに上に動くFlashみたいなやつで。
できたとしても今更開発してくれないですよねー。
そんなものダウンロードして入れてくれるユーザーならもうバージョンアップしてますよねー。
以上、愚痴でした。
jQuery を使用したライブラリの中には、「もうIE6とか無かった事にしよう」っていうものが結構たくさんあって、使ってみるとIE6で動かなかったりします。
しかし気持ちは分かりすぎるけどそのままでは仕事で使えないので、IE6に対応させるためになんとか自力でソースを改造することになります。
ライブラリ作ってあげていただいているだけでも本当に感謝して。
documentのObjectの絶対位置を取得するので便利な offset() について、
IE6の場合は position() で代用することができるので、ネット上の
親切な方のまとめ書きを参考にしながら
offset() しか書いてないソースに position() 対策を入れる方法
を以下に書いておきます。
参考サイト1:http://queensryche.blog41.fc2.com/blog-entry-588.html
参考サイト2:http://ore3.blogspot.com/2008/07/ie.html
↑大変ありがとうございます m(_ _ )m
if (typeof document.documentElement.style.maxHeight != “undefined”) {
// IE 7.0 以上 または Gecko などモダンブラウザー// id=”position_exam” の指定してあるエレメントの位置を取得する
var offset = $(’#position_exam’).offset();
alert(”このオブジェクトのX座標は” + offset.top + “、Y座標は” + offset.left + “です。”);}else {
// IE 6.0 以下 offset が使えないので position() を使用します。var ie6top = $(’#position_exam’).position().top - document.body.scrollTop;
var ie6left = $(’#position_exam’).position().left - document.body.scrollTop;
alert(”このオブジェクトのX座標は” + ie6top + “、Y座標は” + ie6left + “です。”);}
※jQueryを予め読み込み、HTMLのdiv要素に id=”position_exam” としたオブジェクトを入れて、画面上のdiv要素の座標を取得してます。
上のサンプルソースはこの日記上で作ったやつなので、多分動くと思いますが、動かなかったらごめんなさい。
位置を取得する方法論さえ感じていただければ幸いです。
しかし、position() を使用してかつスクロールバーの長さを引いたりしても、なんか意図した位置から少しズレます。
表示に問題は無いレベルになったので、もう良しとします。
上の方法の間違いやもっとシンプルな方法、ありましたらコメントください。
関連ニュース:「IE6はもういらない」——Web企業が撲滅キャンペーン
最近はネット上で「商用でもご自由にお使いください」と説明付きでソースを公開してくれている素晴らしい方がいっぱいいて、昔のようになんでもゼロから自分で作らなくてもいい時代になりました。
本当にみんなありがとうございます。
ドラゴンボールの元気玉のようなインターネットで今日もベジータと戦ってます。
(ベジータって敵だっけ、味方だっけ?)
そこで「このソースを入れるだけで簡単に動きます」というJavaScriptのモジュールを
嬉しそうに2つも3つも入れてサイトを動かそうと思ったら、あれ、動かない?
ということはよくありがちです。
考えられるのは関数のバッティングですが、
もしソースの開始部分が以下のようになっていたら、問題は関数の開始のタイミングかもしれません。
window.onload = function() {
これがJavaScript内に2つ以上入っていたら要注意
window.onload はページを開く時に1回だけしか行われないので
2つ以上書いてあってもその片方か、もしくは両方うまく認識しないことになります。
その場合は、onloadを使うのを諦めて
function AAAAA() {
このように、AAAAA部分に自分でそのモジュールの名前を個別で入れて
<body onload=”AAAAA(); BBBBB(); CCCCC();”>
上のように、ページのBODYタグのonloadにそのページで使うモジュールの
呼び出しを面倒でも自分でセッティングしていきましょう。
BODYタグに書き込むの面倒!とか思ってもこっちをおすすめする理由は
そのページで使いもしないJavaScriptの仮想オブジェクト化などのマシンに負担がかかるソースを
ページを開くたびに呼び出しては、せっかくのブロードバンド台無しのブランク表示(画面真っ白)
サイトを作り出す原因になるからです。
分かりにくい書き方ですみません。
追伸:
他の方がもっと賢く教えてくださっています
http://blog.webcreativepark.net/2008/02/26-185844.html
忘れてしまってバグるたびに検索しているので覚え書きを。
タイトルの文字を画像にして、タグで括ってボーダーを下に入れたらIE7だけに妙な隙間が出来たり。
CSSとimgの組み合わせで起こるバグを押さえるスタイルシートの初期設定値を書いておきます。
■IE6とIE7だけimgに与えられている「vertical-align」値を他のブラウザと揃えるハック
(これを常にCSS基礎部分に組み込んでおく事を推奨します)
img {
vertical-align:top;
border: none;
}
/*IE6*/
* html img{
vertical-align: bottom;
}
/*IE7*/
*:first-child+html img{
vertical-align: bottom;
}
ハックは使いたくないんですが、
使わないとさらに無駄な処理が増えるからもうしょうがない。
IEに関してはどこまでも諦めるしか無いですね。
人には、私の書くことはほとんど当たり前の事だけど、その当たり前をあえて文章化する事は私の個性と思っていいのじゃないかと言われ、そうなのかと教わりました。
人に教えられ、人に教えていという情報の流れは、人間がヒトではなく人である大事な部分だと思います。
私の経験談のまとめのような話ですが、人に教えることとは。についてまた長々と語ろうかと思います。
仕事を人に教えられて仕事を覚え、いつのまにか先輩になってしまってそれを人に教える機会が多くなりましたが、私は人に教えることが好きです。
専門学校など出ていない私に、最初の頃、商業デザインとは何かを教えてくれた先輩達への感謝もあります。
それを抜いても、私はもともと迷いやすく間違えの多いタイプの人間なので、常日頃から周りの人々は私を代わる代わるに教えてくれています。私も人に質問をしまくります。悩みも相談しまくるので、迷惑に思われないように自分を抑えるほうが大変です。
自分が果たして人に何かを教えられるほどの実力があるのかなんてことは、それを言い出して人に教えないことと比べて、チャンスを損失することと思うと、自らは生きている間常に学ぶようにして、考えないようにしています。
あえて、空気は読まないぞ! と、思うこともあったり。それが自然で嫌みがなくなるくらいまでは、まだまだ慣れや歳月が必要ですが。
単純な年齢や経験数ではなく、教えてくれる人がいれば、私は教わりたい。
教えたいと思う事があるのなら、それを大事にしたいです。
うちの祖母は80を超えて、習字の先生であり、外国の異文化を教わる生徒でもあると言っているくらいなので、年齢で諦める事も無いはず。
彼女の精神はすごく若いので、もし叶うことなら、ああいう風に年を取りたいです。
そこで、人に教わるのが苦手、人に教えるのも苦手という意識のある人に対して語るように説明したいと思います。
人に教えるのに、数々のテクニックを語る本なら、専門分野別にいくらでもありますが、おそらくそういった本に共通のものと思われるのは、マインド・気持ちの持ち方です。
愛情。
母が、子供に対して言葉などを教える時、教える技術が重要でしょうか?
私は子供を育てた事が無いのにおこがましいですが、多分技術の問題では無いです。
相手の思考・心に触れてあげること。それは愛情に他ならないし、それが人に「教える」という言葉の本質だと思います。
そこで、一番分かりやすいと思うのは、自分で独学する時の気持ちの持ち方です。
まず、自分が何かを勉強したいと思うとき、重要なのは、自分の才能に対する自信のようなものです。
自分なら、覚えられる、その情報は自分に必要だ、というモチベーション。
それが無い人は、まず独学ができなくて、どう勉強したらいいのか分からず、人に聞いて回っても、なぜか身に成らないと思うでしょう。
例えば、「本を読んで覚えなさい」と言う人がいて、その勧めに従って本を読めるか。
一日30分、3時間と決めて勉強するようにスケジュールをたてて、それを実行できるのか。
それはもう、能力以前に、その情報に必要性を感じていて、自分が身につけたい、と願うのと同時に自分ならそれを身につけられるという自信があれば、たいていの事は覚えられる気がします。
だから、勉強はまず、自分に対して自信を持つことから始めます。
相手に何かを教える時も、相手に自信を持ってもらうには、相手を信じて、その相手なら必ず覚えられる、と思うことからがスタートです。
人に教わろうという心の扉が開いている人は、そもそもわざわざこちらから教えようと思わなくてもどんどん自分で調べるなり、質問を投げて来ますが、そういう人ばかりでは無いでしょう。
それも、その人が実力が無いせいだと早計せずに、その人は自分の眠っている実力の引き出し方を知らないのだと、根気よくとらえたいものです。
私の個人的なメジャーで計ると、才能があると思っている人と、自分ではそう思って無いけれど私から見て才能のある人、その2人の実力は単に環境次第で、どちらがより上に行くかは運や社会の流れといった感じでしょうか。
もし、この人は才能があるなと思う人が、その能力を活かしていないように見えたら、とても会社、社会、人間全体にとってもったいない話だと思います。
きっとその本人だって、自分の才能が活かせることは、幸せな気分になれるんじゃないかと。
それは、その人次第の問題ですが…。
私の場合、相手を信じたいと思うのと、自分自身を信じたいと思うのは同じ方角を向いている力なので、結局は自分のためになると思っています。
私が、人に教わって、すごく身に成る場合とそうでも無かった場合の差は、相手がどれだけ自分に愛情をかけてくれていたかのような気がします。
少なくとも、私の事なんてどうでもいい、教えるのは仕事だからしょうがないけど、覚えられないのはあなた自身のせいだからね、って態度の先輩に何か教わっても、そんな先輩のように自分が成りたいとも思えないし、そう思うとそんな先輩に教わる情報もなんだか覚えたく無いような気がして、一生懸命覚えようとしても無意識の拒否反応で、結局覚えられなかったような気がします。
それでも反面教師にはなるので、無駄な事はひとつもありませんでしたが。
自分でも、「どうせこの人に教えたところで…」とか「どうせこんな事教えても…」とか思いながら人に教えていたのでは、嫌な気分になってしまいますし、そうはならないように「この情報は、相手に取ってきっと役に立つ」と信じて教えるようにしたいと思っています。
もし、自分が誰かに教わりたいと思うなら、誰だって、技術がすごい人よりは、自分に愛情をかけてくれそうな先生を選ぶでしょう? そして愛情があってなおかつ、技術のすごい人がいたら、その人のようになりたいと自然と思えるので、あとは、細かい事など教えなくても、その人の背中を勝手に見て、勝手にその人から様々な知識を得て行きます。
理想的な話ではありますが、最終的には、教えなくても勝手に相手が自分から学んでくれて、自分をいつのまにか追い越してくれて、最後に自分にさらに、自分の元から持っていた以上の知恵を与えてくれるようになる。そんな事ができたら素晴らしいと思っています。
青は藍より出て藍より青し。
「藍」に「愛」がかけられたかのような、素晴らしいことわざ。
このあいだ、雨の中なじみの美容院へ行ってきました。
伸びて痛んだので、ちょっと切ってくださいとお願いしたら、「トリートメントしてあげるから頑張って伸ばして」と言われたので、結局毛先の2センチしか切ってもらえませんでした。
でも美容師さんが似合うと言うなら信じるか、と割と毎回お任せしています。
ところで、ここ数年、私の頭頂部の毛が薄くなってきていて、その美容師さんすら「ちょっと薄くなってきてるね」と心配してくれていたのですが、今日見てもらっていたら「産毛がいっぱい生えてるよ」と、嬉しい事を言われました。
どうやら、おそらくストレスが原因で死にかけていた毛根が、ストレスの軽減で少し復活してきた模様です。
ストレスというのは、ピーク時には、今自分がストレスのピークだということに気がつかないものですね。
ストレスで禿げかけていた自分を振り返って、思い返してみれば、ストレスは確かにあったのかもしれません。
デザイナーに限らないと思いますが、ストレスの全く無い仕事は無いものです。
私の場合は、
仕事を一生懸命やっているつもりで、クライアントの担当の方の気持ちの理解を怠り、心が離れてしまう失敗を繰り返していたり、
クライアントの顔を見ようと思って今度は代理店の人の顔を潰してしまう失敗を繰り返していたり、
代理店の人の顔色をうかがって、こんどは社内の反感を買ってしまったり
社内の人の顔色を見ようと思っていたら、会社の経営者の顔色を見るのを忘れて大失敗したり、
そのみんなが、言う事が毎回変わって、何を信じて作業すればいいのか分からなくなってしまったり、
自分自身の力の無さや人格の未熟さ、ご提案の失敗に打ちひしがれたり。
何をやっても、どう頑張っても、からまわりしたりかみあわなくて苦しい思いをしていました。
今年に入ってから、いかに仕事を楽しんでやるか、ということをまず考えて行動するようにしました。
仕事は辛くて当たり前、という前提をなんとか捨てて、苦行のような仕事の仕方は辞め、出来る限りぼんやり過ごせる時間を作りました。
最近、お客さんやボランティアの人が、感謝の言葉を返してくれる事が増えました。
因果関係はよくわかりませんが、あんまり一生懸命さを出しすぎないほうが、お客さんは感謝がしやすいようです。
それだけ以前は自分に余裕が無く、相手に対しての態度がなっていなかったんだなと反省しました。
そして、毛が増えました。
以前にも、寝ず食わす仕事をしてひと夏で5〜6キロ体重を減らしたなど、仕事によるストレスが身体に出たことがあります。
こういうことを、デザイナー仲間と昔話をすると、たいてい皆似たり寄ったりなストレスで身体がおかしくなったとか、精神を病んだという過去があります。
体重の増減やハゲや白髪など、デザイナーあるあるで言えば序の口です。
中にはウツになって職場復帰ができなくなった人、ヘルニアや緑内障でデザイナーを辞めてしまった人も居ました。
もし今、あなたが自分でも知らない間にストレスで心や身体を病んでしまっているのだったら、一度考えてみてください。
あなたの会社やお客さんは、あなたを大切にしてくれていますか?
愛はまず与えよというように、あなた自信が先に会社や仕事やクライアント様に忠誠心や愛情を示す事が先決ですが、中には、頑張って愛情をいくら注いでも、全く評価が得られない職場や取引先にぶつかることもあるものです。
そうすると、思うような評価が得られず、自分の中から愛情が欠乏して、ますます得ようと努力し頑張り続けて、しまいにはからっぽになってしまいます。
そんなときは、例えあなたしか今のあなたの仕事ができなくてやりがいを感じていたとしても、あなた自身が壊れないように、仕事を休んだり会社を変えてみるなど、あなたを守る事も考えてあげてください。
お金もらっている以上、もちろん作業としての仕事はきちんとしなければなりませんが、デザインという性質上お金のためだけではなく、愛情をかけたデザインを、会社やお客さんのためだけに考え作るるという、心づくしの立派なサービスを行っているのに、使い捨ての奴隷のように扱われる必要はありません。
デザインという仕事の性質上、残業手当てがつく事は稀ですし、お給料面での評価もあいまいな事が多く、さらにもしあなたがWEBデザイナーなら、デザインだけではなくいろいろなジャンルの勉強もしなければならないというプレッシャーもあり、どこまで頑張ったらいいか分からなくて知らず知らずに無理をしていることもあるかもしれません。
クライアント様は神様ですが万能の神様ではないし、会社は雇い主ですが雇われている者に対して傲慢でいいという理由も無いです。サービスは等価交換。デザインというちゃんとした仕事をやって、その分のお金をいただくのですから、お互いに感謝しあえるのが一番良い形だと思います。
例えば、美容室に行き、髪を切るサービスを受けて、美容師さんに感謝せずに奴隷に命令する王様のような態度でいたとしたら、そんなお客様はきっと「二度と来ないで欲しい」と言われてしまいます。
やはり、お互いにお願いします、ありがとうと言葉を掛け合い、感謝しあう形になるのがサービス業の究極の形だと思うので、自分がお客さんに感謝するのはもちろんのこと、感謝されるような仕事をし、感謝していただけるようなお客さんと出会えるように営業していければ最高です。
職場も同じように、従業員に感謝をしっかり表すような会社のほうが、離職率も下がり営業利益もゆくゆくは上がって行くと思います。
デザイナーはデザインする機械でも奴隷でも無いです。日本においてデザイナーという職業の扱いの悪さは尋常じゃないです。(特にDTP)。
プログラマーでも聞かれる事ですが、過労死する人が何人も出るくらい心理的にも身体的にもストレスを与えられる仕事です。
でも、そのストレスを味あわないデザイナーは、プロとしての能力を身につける坂道を登っていけないので、単純に逃れる事はできません。
しかし、どんなにプレッシャーが多い仕事でも、ちゃんと感謝を返してくれるお客さんや会社とのつきあいがあれば、自分の成長や数字じゃない報酬が得られます。
どんな仕事もそうですが、やっぱりやりがいがあるから頑張れます。
サイトの出す結果は、代理店やデザイナーを選ぶ時点から、お客様の責任です。
(こんな事を言っては怒られてしまいそうですが、デザイナーとして選ばれるように努力をすることはデザイナー側の責任と思っています。)
デザイナーに仕事を渡す前の企画段階や、どういう風にデザイナーをつきあっていくかというスタイルで、同じデザイナーでも結果は大きく変わってきます。
だから、デザイナーに出来る事は、常に全力を出し切る事と、時代に合わせる努力を怠らないことくらいで、十分だと思います。
なぜこんな事を言うのかというと、ストレスで病むデザイナー仲間に限って、努力家で真面目な良いデザイナーが多いと思うからです。
不真面目で努力をしないデザイナーが仕事が苦しいと言って来たら、私は転職を勧めます。
ストレスで苦しんでいるのは、成長できるチャンス。
乗り越えたらひとつ大きな自分になれていると思います。
そして、山は越えたらしっかり休んで自分に余裕を作ってから、ストレスの原因を改善する方法を考えてみてください。
営業さんだって困っている、クライアント様だって困り果てている、制作だって苦しんでいる。だけどみんなお互いの責任にして自分が一番苦しんでいると思い込んでいる状態が一番最悪のパターンです。
プロジェクトではお客さん側と制作側はチームになり、同じ目標を持った仲間です。
どちらからでもお互いを知ろうと歩み寄って共感をし合えば、きっとストレスの元は解消されていくはずです。
ずっとストレスの山を登り続けない事。
そして、ストレスの元凶を放置して、何度も同じ山に登り続けない事。
周りのいろんな人に相談したり、必要であれば長期の仕事をとって、無理せず頑張ってください。
暑かったので、数十分かけてサイトの色とトップの画像だけ変更。
やる気のなさ漂うプチリニューアル。
やる気ないとか、そんな事いっちゃ駄目だよってまた怒られそうですが、
やるときはちゃんとやってます。
最初に宣言しますが、今日はダラダラしゃべってみます。
お暇な方は読んでみてね
さて、タレントの田中義剛さんが牧場長をつとめる、あの有名すぎる花畑牧場。
たまたま仕事の関係でチェックしましたが、生キャラメル、すごい売れようですね。
田中さんがタレントなので、テレビでもよく番組内で宣伝していて、話題性もあるし今などはちょうど母の日プレゼントの需要もあるので、波に乗っているなという感じです。
テレビCMも不要で、タレントを起用しなくても自らが広報できるし、他のスイーツ系ショップさんから言わせればセコい、と思われても仕方ないような宣伝方法。
宮崎県知事や大阪府知事もそうですが、テレビで取り上げられる・注目度を高める方法としてテレビタレントになるところから始めて見るというのも究極の営業方法なのかもしれないですよね。
ほとんど反則ワザかと思いますが(笑)
ところで、「花畑牧場」は楽天ショップと自社オフィシャルサイトを出していますが、ヤフーショッピングには出店していないようです。
これは、ヤフーショッピングの特徴ですが、ヤフーはオークションに強く、オークションに商品を出品する出店者が多い、どちらかといえば個人ショップ向けのシステムになりつつあるのではないかと思います。
仕事の関係で、楽天とヤフー両方にネットショップの出店に関する資料を請求してみましたが、以前よりマーケットの規模は楽天有利に大きく差が開いた感じがします。
しかし、オークションの利用率だけを見れば、ヤフーもまだまだ伸びているようで、ショップの性質次第ではヤフーに向いている
商品もあると思います。
以前は、ヤフーと楽天両方に出店する形態のショップも多かったですが、商品の性質がどちら向きかを考えれば、制作コストの面から見ても現在はどちらか一方のみの出店で問題が無さそうで、棲み分けができてきた感がありますね。
ギャル向けショップとか、携帯電話からの購入はもしかしたらヤフーのほうが利用率が高いのかな?
ケータイ上の検索では、ヤフーの検索のほうが、スポンサーの扱いが大きいので、衝動買い向きの商品はヤフーに勝機ありかもしれないですね。
ランキングを見ていてそんな気もしましたが、データは無いです。
マーケットの規模が広がるにつけて楽天はそうとう競争が激化していますから、なにか強みでもないとなかなか突出した売上げにはなりにくいんじゃないかなと思います。
ネットという限られた箱から、どうやってターゲットとなるユーザーにリーチするか。
広告代理店の方なら、日夜研究されている分野ではないかと思います。
しかし実際は、専門的すぎる情報の山に立ち往生してしまう代理店の方も多いのではないかと思います。
制作は制作だけで、相当な勉強量が必要なので、そこまではなかなか手が伸びないところ。
ネットショップの成功には、そのショップに関してオタクと呼べるくらいネットを使い込んで、研究する情熱が必要です。
今までは資本力がある企業が有利だったけれど、今はネットは個人も企業も一緒くたで競い合う戦国時代のようなもの。
あまりの情報量に、「全体を見渡せる専門家」というのはほぼ居ないといっても過言では無いので、だからこそ「自分のショップに関して365日考えていられる」個人の制作やショップオーナーが成功しやすいんじゃないかと思います。
今までと同じやり方で、お金をかけて広報して結果がついてくる時代では無い。
おそらく、どの広告代理店も今カベを感じているのではないかと思います。
そのカベを突破するには、勉強しかない。しかし忙しいので、そんな時間もないし、ネット漬けでいられる人間というのはタイプも限られている。
例えば、それならと外部の専門的なサポートを使うとします。
成果保証型の支援サービス、コンサルタント、etc
しかし、利用者の声を聞くと、お金だけ取られて結果が出ないなんてこともよくある話。
成功事例の共通点なんて、「ショップのオーナーなり広報担当者がちゃんと勉強している」
これだけ。
そしてそれは、地道で長い道のり。
好きこそものの上手なれというけれど、適正が無ければついていけないのは間違い無いと思います。
こんなブログ記事があります。
「個人サイト運営はネットゲームだ」
http://anond.hatelabo.jp/20080308132141
企業がお金を払って、専門家が集まって行うネットアクセスアップの広報活動より、
個人の趣味の延長上のほうが結果が出ることがある。
なぜか。お金をかけて広報すればアクセス数は増えますが、増えたユーザーの質という面で見れば、サイトが扱っている情報にマッチした趣味を持っているユーザーの確立が相当低い。
しかし個人の寄せ集めが拡大したアクセスというものは、元から近い趣味思考の人の繋がりから人を集めているので、ユーザーのロイアリティが非常に高く、長期的なリピーターになる確立も高いからではないかと思います。
ユーザーと一番近い感覚を武器に、ゲーム感覚でアクセスアップをして、それを楽しめる能力。
それさえあれば「神」か「廃人」と読んでもらえます。
とにかく、マンガもそうだけど、ネットを見下さない。ネットを馬鹿にしない。そしてネットを愛する。
もし、できたらやってみてください。
断言はできませんが、成功に近づくかもしれません。
参考とは、全くならないと思いますが、有名なサイトにGigazineがあります
http://gigazine.net/index.php?/news/about/
1ヶ月のユニークユーザー数は約1460万、日本にあるブログ中「第1位」。
はっきりとは書いていないのですが、おそらく個人から始まり現在は数人居ると思われる編集部で更新しているニュースサイトです。
1日4〜5件もの画像付きニュースをアップし続けています。
やってることは、単純明白。
努力と継続。これのみ。
難しいシステムも、美しいサイトデザインも不要。
ただし世界中のニュースを読み解き、ニュースにぴったりくる画像を探したり、実体験レビューを入れるなど相当な努力が感じられます。
努力無く、魔法のようにアクセスアップは起こりえません。
そして流れの早いネット業界で、努力を続けなくてはトップに留まり続けることもありません。
すべては人の力だと思います。
今日も、結局いつもと同じ結論ですが、
「人を大事にしましょう」。
お友達のボンドデザインの中の人のブログを見ていて、思いました。
共感の能力=営業力。確かにそうだなと。
共感することが上手な人は、それだけで「自分というブランド」が出来ていると言う話は、全くだと思います。
そして、WEBでいうところの「コンテンツ」とは、実は今のところ、プレーンテキスト、つまり文章以外の何ものでもありません。
SEOと言ってキーワードがどうのこうの、リンクがどうのこうのと言ってみても、さぁ、何が真のコンテンツと呼ぶかというと、動画だったり、テキストだったり、何らかの「表現」の創出になるのではないでしょうか。
(コピペやモノマネでは、継続的に注目を集め続けることはできないので。)
私がこのブログを書こうと思うモチベーションも、コンテンツ力である文章力の向上への狙いから来ているので、実は毎回裏にはテーマがあり、「今回は口語・フレンドリーで友達に向けるような書き方で」とか「今回は取引先の人に向けて固めの口調で」などと、文章を掲載するシチュエーションをいろいろ想定して書いていたりします。(あくまで練習帳のようなものなのですが。)
練習を始めて1年ほど。まだまだ文章力がついたとは自分でも思えませんが、いろんな気づきができたので、いい勉強にはなっています。
そこで、「共感を得られる文章」を書くためには、何が必要かって考えたんですが、やはりそれはその人のオリジナリティ、個性ではないかと思うんです。
何冊かコピーライティングのテクニック本も読みましたし、WEB向けライティングについては日頃から勉強もしていたりはしますが、実際のところ、狙い過ぎて物まねやテクニックに走っても、ユーザーがぐっとくるような文章にならない。
無理矢理自分のキャラを作って、絵文字や大文字、カラーリングをして派手にさせても、本物であるテンション高い人の文章とはどうしても差がつく。
なぜだろうって思っていろいろ試してみましたが、最近分かった事は、文章を書いているとき「自分の頭で考え、自分の心で思ったことを素直に表現しているか」という根本的な部分で差がついているのではないかと思いました。
うまい文章というと、テクニックや熟練度などをついつい考えてしまいますが、もし、「うまい(美味しい)文章」が書きたいと思うなら、日頃から小説など、心理描写が豊かな文章に触れること、人との出会いや会話を大切にすること、人の感情表現をよく観察したり、自分の感受性を高めたり、本当に心から感動すること。実はそっちのほうが近道なんじゃないかという気がしています。
数千、数万とある似たような表現の中から、これだと思う表現を探し出したり、新たな発想で力強い表現をするのには、テクニックなどはむしろ幼稚な手段でしかなくなり、感情のパワーがもたらす、一つ一つの言葉選びの奇跡なんではないかと、大げさですが思うのです。
確かに、何がいいたいのか論点がわからないような文章は、人に伝わりにくいかもしれませんが、人に心を伝える文章って、ただたんに「巧い」(うまい)よりも、よっぽど支離滅裂でも叫ぶような「気持ち」が投影されている「生の声」のほうが、説得力を持つんです。
(もちろん、日頃から文章を読み慣れたり、文章を書く習慣を身につけるという努力は大きいと思うので、何もしなくても良いというわけではありません。ただ、テクニックを学んでテクニックを忘れる、そういう過程が必要ではないかと思っています。)
現在、ネットで「口コミ」といえば、みなさんご存知のように非常にユーザーに訴求する力があると評価されています。
それは、もちろん実際に購入した利用者の声というだけで、情報に信憑性が高まるということもあるのですが、それと同時に、レビューした人の「気持ち」がちゃんと入っているから、訴求するのではないかと思うのです。
もし、レビューが全て「購入後、三日目、使用の状態:良好。」と、ちょっと極端ですが、事実だけを書き込みされていたら、あまりユーザーには訴求しませんよね。
それが「おばあちゃんのために買いました。とっても喜んでくれています。買って良かったです。」となると、どうですか。
たとえ、商品のスペック、使用感については全く触れていなくても、買って、「嬉しかった」という気持ちが入っているか居ないかで、購入を迷っているユーザーに対して強く後押しする訴求が行われるのです。
人は、脳みその一部分だけ「人間」ですが、それ以外の身体のほとんどは「ケモノ」です。
脳みそで理解するよりも、感情の表現、たとえば笑顔、声色、見た目、そんな五感を刺激されるほうがよっぽど強く印象に残る。
だから「人の感情」を感じる力は、「データを処理する」力の何十倍も大きいんだと思います。
だからこそ、情報をビジュアル化するデザイナーの仕事は無くならないし、音楽やアニメなど、五感に訴える力をもつコンテンツは言葉が通じない世界中で共感を呼ぶのです。
文章を書くことは、人との対話と違って、一方的な発信と思うかもしれません。
しかし、共感を呼ぶ文章が書ける人というのは、確かに人と共感できる力を持っているのではないかと思います。
文章のうまい人って、おそらくほとんどが人付き合いや共感の能力も高いんじゃないかな。
もしくは自分の気持ちを見つめる力が高い人なのか。
でも自分の気持ちを表現できている時点で、一番身近な他人である「自分」への共感力があるような気もします。
だからといってはなんですが、ほんと、共感できるような人間になれたらいいな。と思います。
私の文章はいかほどの共感力があるのだろうかと考えると、全く自信がありません。
学生時代の国語の成績だけは、ほとんど勉強しなくても普段から本を読む習慣があったせいか偏差値70くらいあったような気がするんですが…。読解力やら漢字力やらでの評価は、文章表現力であるアウトプットとはちょっと違うので、参考にならないしな。
自分のコミュニケーション力の低さはいろんな失敗から思い知っているし。
もっともっと人とのふれあいが必要なのかな、でも引きこもりだしな。
と、今日も悩んでいます。
これからも地道に努力していこうと思います。
本日は、ゴールデンウィーク開始日で子供の日のイベントがあるとかで、ボランティアを要請されたので行ってきました。
よく晴れた日、子供センターにはいっぱいの親子連れが集まってました。
私の今日の仕事はラムネ売り。前回に続いての飲物販売。
今日のラムネは前回のようなビン製ではなく、プラスチックのボトルでしたが、ちゃんとビー玉が入っているやつで
蓋の開け方が独特なので、分からない子供がいっぱいいました。
小さすぎる子供、力の弱そうな子には開けて渡してあげましたが、元気そうな男の子にはとりあえず自分で開けてみろと言って放置。
教わるとつまんないですよね、自分で開け方分かったらそれが一番面白いんじゃないかと。
他のボランティアさんはちゃんと丁寧に開けてあげたりしていたのに、私は子供にやらせようと思って放置するので
(半分は自分が楽がしたいがため)ガキんちょ数人には「自分でやるのかよ」とささやかれてしまいました(笑)
そうだよ、おばさんは楽がしたいんだ。
そんな感じなので、私の前のラムネだけ周りよりちょっと売れてないような気がしましたが、
こっそり他の人の前にラムネを並べ替えたりしてやり過ごしたので問題なかったです。
久しぶりに子供がいっぱいいて、みんなかわいかった。
案外、しゃべりかけると答えてくれたりして、子供って素直なんだなぁとしみじみしました。
そこで、今日の心残りについてなんですが。
ある男の子が、お金を払わずラムネを取ろうとして、蓋のビニールをはがしてしまったんです。
お金は、最初無いって言っていたけど、お財布をちゃんと見たらお金はあって、
でも、「お金あった。でも焼きそばにするから、ラムネもういらない。」っていって
開封したラムネを手放そうとする。
親はといっても、居ないというし、開封済みのラムネは販売できないので、私が買い取るから
いいよといって帰したんですが。
多少は「もう二度としちゃだめだよ」「うん」くらいのやりとりがあったんですが、もっとしっかりしかるべきだったなぁと、今になって深く反省。
ちゃんと「ごめんなさい」を言わせてもいない。
おそらく、最初から自分の財布にお金があるのはわかってて、でも払わずにこっそり持ち逃げできるならしてしまおうという少し悪い心が働いていたように思えました。
きちんと名前を名乗らせて、ちゃんと頭を下げさせなきゃいけなかった。
悪い事をしたら罰があるんだよということを、大人がしっかり教えないといけなかったのに
つい、手放してしまったなぁ。
周りの目なんか気にせず、その子の将来の事も考えて、悪い事は悪いとしっかり覚えさせないと、
大人が優しいのは当たり前と思っていると、現実の冷たさにぶち当たってしまったときに、自分がうまくいかないのは周りのせいだとか思うような大人にならないだろうか。
考え過ぎなんでしょうけども。
さて、ラムネは無事完売しまして、午後には仕事が終わりました。
ラムネのボトルの中のビー玉は元気なガキんちょがゴミ箱をあさって
ボトルの蓋を取って集めて数を競い合っていました。
お昼御飯を、ボランティアのスタッフの仲間と一緒に食べさせていただいたのですが、
そこで今日お話した人は、だんなさんを無くされた未亡人の方でした。
その人はとても話しやすく、優しく、日々を楽しそうに過ごされているように思いました。
確かに、私も独り身で一人暮らししているし、何かにつけ、寂しいと感じることもあるのですが、
人とのコミュニケーションは、こういったボランティアを含めていろいろ取れるわけですし、
結婚したり、子供を産んでも、どんなきっかけでまた一人になるのかは分からない。
ずっと一人で居るから、精神的にどこか、他の普通に結婚していたり子供がいたりする人たちに比べて病んでいるとか、そんなふうには自分で決めつけなくていいのかなと思いました。
子供は好きだし、学校の先生はやってみたかったな。
体力の問題で、ボランティアの応募が出ていた障害児童の遊び相手は無理そうだと思っていたけど
やっぱり子供もかわいいので、そっちにも参加しようかな、とそんな事を思った今日なのでした。
サイトの企画・構成を考える。
サイトの長期的な役割(せいぜい2年程度)に必須の要項は出して置く。
次に、短期的なサイトの役割を考える。
そのサイトを見る人のターゲット像を絞り込む。
ターゲットにリーチするために必要なSEM・SEOキーワードなどを考える。
予算の割合が集客にかかるなら、サイトの規模は縮小させてもいいと思う。
サイト制作という広告費が、どのくらいの期間で回収できるかの試算を行っておく。もしくは商品やサービスを扱わないサイトであれば、被リンク数目標などを立てておいたほうが良い。
さらに次に、ユーザーの視点に立ったコンテンツ企画を作ったら、基礎となるライティングの下地を作っておく。
そこでカメラマンとの打ち合わせ。
カメラマンが発想力のある人だったらおまかせで撮ってもらうのも良し、つきあいが短い方ならできるだけ撮影は同行するなどして、とにかく写真の質にはこだわりたい。
良いコピーと良い写真が、サイトの訴求力を決めてしまう。
最後にレイアウトとデザイン。
正直、デザインだけは多数決で選ばないほうが良い気がする。
レイアウトとユーザビリティを優先して、最大公約数的な間違いの無いデザインをすると、インパクトが希薄になってしまう。
基本の使い勝手だけは抑え、多少、細かいところに目をつむっても、デザイナーのアイデアはなるべく殺さずに活かしたい。
サイトには個性が必要だ。
ターゲットの絞り込みでも考えなければならないように、万人受けするサイトというのはヤフーかグーグルかというくらいの明確な役割や情報量があってこそ成り立つものだと思う。
それほどのコンテンツが用意できもしないで、万人受けするサイトを作るとどうなるか、答えは「誰にも見られないサイト」ができるということ。
どれほどコンバージョンの良いと言われるサイトでさえ、サイトを見た人が購入や予約や会員登録を行う率は2〜3パーセントから良くて5パーセント台。広告やSEOでターゲットを絞り込んでもそれ以上にはならない。
ユーザーに One to One で接する事のできないサイトは、東京の街を歩く他人のように、ただ居るだけで誰の役にも立とうとしていないように見える。
街を歩く数百人の中の、たった1人に声をかけることのできるサイト。
それがサイトの営業力になるんだと思う。
ナンパでもし、成功するとしたら、どんな相手になるのか。
優しそう?真面目そう?ファッションのセンスが自分にぴったりの人?明るそうな人?口のうまい人?
モデルのようにかっこいい男性なら、たしかに多くの女性を引きつけるかもしれないが、逆に引いてしまう女性もいるかと思う。
太った男性が好きな女性もいれば、頭の薄い男性が好きな女性も、ダメンズと呼ばれる一般的にあまりモテない男性が好きな女性もいる。
顔が無いような無個性なスーツでビジネス口調に機械的に挨拶をするナンパは居ないだろう。(それも返って珍しいから好意を持つ女性もいるかもしれないけれど。)相手を選ばず誰にでも「お茶にいきませんか。」と声を掛けまくっている男性、そんな人がいたら怖い。
とにかく、相手は画面の向こうのたった一人の人間。と思ったアプローチが一番有効と思う。
オープン後も重要。
更新による改良無くして、ユーザーに愛されるサイトは作れない。
積極的にユーザーの意見を取り入れ、ユーザーに寄り添う内容に修正していこう。
これもまるで、つきあっている男性に浮気されないように頑張る女性のような感覚。しかし尽くしすぎて営業利益が圧迫されない程度の誠実なユーザーとおつきあいすることをお勧めする。ユーザーを誠実に育てるのも、またサイトというものを介しての企業とユーザーのつきあい方だと思う。
浮気されても最終的に戻って来たい、最後は君が一番落ち着く、と思われるくらいでないと、このサイトの飽和しているネット社会に勝ち残っては行けない。
(これはあくまでサイト作成の例えなので、浮気されても別れるなという意味ではありません。浮気されたくない女性は浮気しないタイプの男性を選びましょう。)
サイトを作るだけの案件発注なら、サイトの役割を考えたり更新プランを作るのは発注側がきちんと考えなければならないし、受注側がそれを行うなら、2年ほどの長期的な契約を結んで、サイト改良に関する監督責任について発注側との協力体制を作って行くことになる。
結婚相手を選ぶ時、結婚前から完璧な相手なんてそうそう居ないので、やはり誠実そうか、自分に向き合ってくれそうかで相手を選ぶと思うが、発注側、受注側両方にもその相性は適用されると思う。
長い目で見てつきあっていけるお互いでないと、離婚を繰り返して行く事になるが、常に若くて見栄えの良いセクシーな制作会社を選び続ける会社は、自分の会社の中身がなかなか成熟していかないことに気づいていないことはないだろうか?
企業としてお客様に信用されたいと思うのに、ブランドの方向性がリニューアルの度に変わってしまう。サイト制作会社は古くなったらすげ替える。何か同じ原因が根底にあるように思える。そういう会社のブランドはなかなかお客さんまで伝わらない。
サイトの性質により、このどこかのタイミングでシステム開発が入る。
システムはなるべく肥大化させないようにしたい。
それぞれのシステムは小型化、モジュール化し、それを組み合わせて、不要になった部分を削除したり、必要になった部分を加えたりできるようにプランニング側でコントロールしよう。(そのためにはある程度の知識も必要。)
プログラマーによっては、システムすべてを一つの流れで組んでしまって、そのプログラマと連絡が取れなくなった瞬間、それまでのプログラムが手がつけられない遺産になってしまう危険性がある。
そうならないためには、可能なら「全体の流れ」と「それぞれのエンジン部分」は切り離した別プログラムとして制作してもらえるように、システムフローは発注側が組めれば一番いい。
システムがフローにのっとっているなら、そのシステムを別のプログラマが見れば問題箇所はすぐに分かるし、モジュール化をしっかり行っておけば、自作パソコンのように、全体を買い替えなくても必要な部分だけの差し替えで長く愛用できるシステムになる。
あとは、定期的にサイトの外側から、サイトの評価をチェックしよう。
自分がユーザーになりきって検索などからスタートし、自分のサイトにたどり着けるか、もしくは競合と比べて選ぶポイントが見いだせるかという具合に。
鏡を見ずに化粧はできないように、ユーザー視点で評価せずにサイトの改良はできない。
さて、恋愛は難しい。サイトプランニングも難しい。
どちらでも一番重要なのは、人間を大事にすることのよう。
急に寒くなった春の雨の日、本日はボランティアのイベントに参加です。
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良いデザインをする方法をお教えします。
あやしい情報商材のような滑り出しで始まりましたが、方法を伝授するというのは、私が素晴らしいデザイナーだからデザインの仕方を教えてあげるというわけではありません。あなたが元から持っているデザイナー脳の使い方をお教えするというくらいです。
下準備:まず、今日はデザインをしようと決めたら、一度今の生活を忘れましょう。
とりあえず、誰の事も日常の悩みも全部忘れて、どこまでもわがままになって、世界の中心は自分だ!くらいの勢いになります。
具体的なイメージトレーニングとしては
まず、あなたはお金持ちで、一生遊んで暮らせます。
あなたは生まれつき恵まれた美男/美女で、何のコンプレックスも持っていません。
あなたは年を取らない。
あなたは世界中に愛されています。
こんな感じで、あなたの気持ちに混ざっている不純物を排除していきます。
あなたの才能や潜在能力を出し切るには、あなたを縛っている「自信をなくさせる悩み」や「常識」、そういうものを一時的にでも取り去った方がいいんです。
右脳をはじめとする脳の稼働量を上げたいので、「心」「迷い」、あなたの個人的な邪魔な情報で脳みそが麻痺するのをやめさせないと、力が出し切れません。
私はそういう一時的なデザイナー脳になるのに、結構時間がかかるほうだと思います。
(それだけ日常に無駄な悩みを抱えているので…)
おそらく、天才と称されるようなデザイナーの方々は「向こう側」に常にいらっしゃって、常に脳みそが解放状態にある人もいるんだろうなぁと思います。
私は毎回「デザインやる気分に自分を持って行けない」と、あがくほうです。
自分のコントロールがうまい/下手の差でしょうね。
私の場合は、とりあえず食べたいように食べ、寝たいように寝させたり、散歩に行ったり、漫画やテレビに逃げたりしながら、「自分」をなだめすかせていい気分にさせて、サクッと刺し殺すように静かに転換します。
あなたの脳は、基本的に普段「自分」というデータが占めている割合がほとんどですが、「自分」の思考レベルを一度下げて行きます。
その分の空きスペースに「客観的な脳の中の人」という、人格以前の脳の力だけの思考力をアップさせていきます。
絶対的な自信を持つというより、むしろ真逆に、自分の作業のひとつひとつを客観的に見つめ直してける力が発揮されるので、普段より自分に対して否定的になります。
それは私の場合だけかもしれません。なぜかというと私の「本来の力」を発揮した状態でも、「自分の客観脳」から見るとまだまだレベルが低すぎて、自分の才能の低さを思い知っているからです。
これが才能の高い人なら、客観的であっても自己批判のような無駄なことに労力を裂かず、もっと生産的な方向に時間を使えるので、どんどんデザインのレベルが上がって行くのではないかと。むしろ自分のデザイン素晴らしいって自分で褒めまくるようになる人もいるんじゃないかな。(結局MかSかのパーソナリティか?)
私の場合は自分の本来のレベルの低さとの戦いが時間の半分くらいになってしまうのですが、そもそもの自分自身の持っている力を最大限に発揮する事だけを念頭に置き、自分の状態に諦めてしまわないことが肝心です。
自分を客観視し、自分と向き合って戦う事ができている時点で、あなたがデザイナーに向いていないことはないんですよと、私なら思います。
天才的なデザイナーなんてデザイナーの中の数パーセントに満たないので大丈夫です。
それに「デザイナー脳」になっている時点で、「自分」の重量は軽くなっているので、たとえどんなに自分に批判的になっていても、自分の存在自体はそれほど脅かされなくなっています。
小さい自分をいくらいじめても、脳のほとんどは自分以外になっているので、傷つくとかそういうレベルにはもう居ないのです。
そんなこんなで、自分はまるでサッカーボールかサンドバックかというように、「客観脳」にズタボロにされながら、デザインのレベルをあげさせられて行きます。
もしもすごく良いアドバイザーが居て、同じように自分のデザインをズタズタに批判してくれれば、自分の客観脳以上の発想や個性が加わってさらに良いデザインができるんじゃないかと思いますが、自分を殺しきれていないとその人が嫌いになるだけかもしれません。
優れたアドバイザーとは、普段は褒めまくっていて、信頼を築いて、相手の全人格を脅かす事はありませんと許可を相手に得てから、客観的なアドバイスを励ましに混ぜ込んですっと相手の行動を変えてしまうくらいの事ができるのかもしれませんね。
よく、人を育てるには褒めて伸ばせといいますが、褒める褒められないでやる気が変わるのは「自分」で、一度デザイナー脳になってしまえば、求めているのは客観的なアドバイス・情報、とにかくデザインの質を向上させるためのものだけになります。
(でも小さくても主観的な自分も居るので、ちょっとは褒めてあげて。)
もしかしたら、自分を一時的にでも減らしたり小さくできるというのは、究極的には自分に自信が持てていないとできないかもしれません。
普段脳に戻って来れなくならないように、しっかりと目印のようには自分が居ないと、正体が無いような人格破綻になってしまいそうです。
もし、なかなか自分の主観から脳を解放でいないという人がいるなら、デザインよりまず普段の自分の生活の悩みから軽くしていってください。
そういう意味でも普段から自分に逃げていると、デザイン力は上がらないと思います。
さて、あなたがあなたの力を出し切り、デザインのレベルアップの為ならある程度なんでもできる気分になります。
四面楚歌のようなせっぱつまった息苦しさと同時に、何があっても100パーセント保証付き、くらいの楽観的な気分と安心感が同居します。
客観脳に否定されることに対しては、絶望的に受け身になり、自分(実際のデザイン制作の指揮をとる脳)のやる事成す事何一つ正しいと受け入れてもらえないかわりに、いくら否定されたところでそれと日常の自分の自信が無くなるという事は無関係に主観的な自分は守られた状態にいるので(否定されているのはデザインだけで自分の人格とは切り離してあるので)、そういう状態に持って行けたら、あとは時間の限り寝るのも食べるのも忘れて仕事しまくってください。
本当に死なない程度に。
あとは、仕事の後に、ぐっすり寝て、普段の自分に戻って行ってください。
常にクリエイティブでいられる環境の整った人はいいのですが、そうでなければ「自分は死なない、自分は金持ち」とか思い込んでいるちょっと痛い人になってしまいます。
私の場合は、脳を解放すれば解放するほど、後でギャップが待ち受けてます。本来の自分のあるべきレベルに引き落とされるので、脳がいったりきたりすることによって、ちょっとだけ心が不安定になることもあります。
特に、デザイナー中の自分はかなり高慢チキ(のように周りからは見える)なので、そういう時に周りに他人がいると嫌われるだろうなぁと思うのですが、止められません。批判の向かう方向が自分だけではなく周り全てに及んでしまうので。
また常にそういう自分なら周りも扱いやすいんでしょうが、戻ってきた時には逆に自信が全くなく、それはそれで非常にウザい人間になる。
デザイナー脳>仕事脳>プライベート脳 の順番で自信がなくなって行くので、自分が定まらず不安定な人になっているような気がします。
実際の生活の自分がその客観性に見合うだけの実力があればいいんですけどね。そこで「実際」の足かせをはずすための上から述べている方法なので。
デザイナー中の自分は、自分の本来のレベルなんか無関係に自由ですから、自分の発想力が解放されている状態で究極に空気読めない人になります。
普段の生活している人々は「自分でいっぱいの脳」なので、自分を否定されたら傷つくし、その人のレベルに見合わない発言をされたり、「枠」を超える行動や発言は不快に感じます。
自分を飛び越え過ぎた状態でいると支障が出てきます。
残念ですが、そのギャップ間で悩むのはデザイナー兼社会人として諦めるべき問題と思ってくださいね。理解者がいればいいのですが、たいていちょっと孤独を味わいます。
もしくはデザイナー脳で生活できるくらい自分の実際の生活をクリエイターっぽくしたり、デザイナー仲間を増やしたり、外見や環境から攻めていってみてください。
環境大事です。自分はできるデザイナーだっていう思い込みや洗脳をするための職場作り/服装、なんでもできることやる、そこから勝負が始まっています。
私は自分に甘いので、はっきりいってデザイナーとしてできる全ての努力の1/10もやっていないです。
もし、一年365日デザインの仕事があるか、趣味でデザインし続けるくらいの気持ちがあれば、常にデザイナー脳でいられて努力も続くのかもしれないですが、私は身が持たないですねー。
もともとデザイナー向けに産まれてないのか、かっこいい世界が苦手。似合わないと思うし、派手は恥ずかしいだけなので、地味な生き方が好きです。
お客さんがそれを求めてくれれば応じることはできるのかもしれないですが、デザインの元から持っているセンスが私以上の人はいっぱいいるので、そういう状態に自分が選ばれることはそうそう無いかもしれません。
その代わりと言ってはなんですが、デザイン以外のオプションもお付けしますのでなんとかお買い上げくださいとアピって行こうと思ってます。
せいぜい案件ごとにデザイナー脳になって、なんちゃってかっこいい自分みたいなものを雰囲気でやり過ごしています。
持って産まれた能力は少ない私ですが、こんな私でも一生成長はしていけると思うので、自分も諦めないし、お客さんにも見切られたく無いです。
できる努力からなるべく取り入れていきます。
以上、こんなこと教えちゃったらみんなデザインできるようになっちゃうな、仕事なくなっちゃうな、というお話でした。
ネットニュースでご存知の方も多いと思いますが、好きですねこれ
褒められサロン
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最近読んだ記事に女性部下の昇進を止めた、「僕たちの正当な評価」というのがありますが、私は、ほとんど同じ知的能力の男性と女性がいたら、男性にリーダーを任せるのは当然のことと思います。
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読まなければならない本が、軽く5キロを超えてきたので、本日は10時間ほどかけてカフェに立てこもりました。
脱臼を起こしそうになりながら運んだ本が肩に食い込んで作った痣の具合に、仕事の幅の広がりを感じます…。
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前回の記事で、Flashのムービープレイヤーのコンポーネントのデザインカスタマイズがうんちゃら、と書きましたところ、
案外、同じ件で悩んでいる方が多いようで、お問合せをいただきましたので、公式の解説のURLを残しておきます。
(ググったらすぐなんですけど。)
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断言しますが、私は別に儲かっていません。
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たまにはWEBデザイナーらしいことも書き込まなくては。
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気がついたらもう4月でしたー!
あれー、おかしいなー。
サイトのリニューアル、今日アップの予定だったのになー。
…orz
とうとう、事業計画の予定の日付を自分で破ってしまいました。
今まではギリギリでもハリボテでも形にはしていたのに。
情けない…。
そして、このサイトのリニューアル予定日が次いつにするか。
ここで宣言してしまおうか、、そうすればハッパになるかな…
とも思いつつ。諸事情により、まだやめておきます。
よく言われることですが、「時間が無い」というのは言い訳にならないそうです。
時間は作るもの、そして走りながら考えて行動し、その行動からまた反省しつつ次に移るというのが、
わざわざ時間を作ってなにかしようとお膳立てするよりも、スピードが早いので実践的だとも思います。
しかし、ゆっくりと練り上げる構想もあるものです。
物事が結果次第というのであれば、その責任を負える範囲で、自分が今必要と思えることをするのみです。
時代は常に進んでいる中で、何が正しい、何が間違いという二元論でくくってしまっては、大切な物を見失ってしまうような気がしています。
進んで行く中で、人との出会いがあり、また道が違う方向へ進んで行くこともあります。
一度道を見失っても、時には立ち止まっても、それが何に繋がっているかは分からない限り、凶ではない。
幸せがそのときの考え方次第のように、人に何を言われても、その時自分が進む道を決めるのは自分であり、それが何を目指しているのか、前進なのか後退なのかを図るすべもまた、自信の感覚でしか無いような気がします。
ところで、サン・エンジンというプロジェクトの事業計画の大まかなものに、今年は「チャレンジ」(挑戦)というテーマがあります。
細かいこともいっぱいありますが、全体的に見て今年は、新しいもの、未知なる領域へのチャレンジの年にしたいと思っています。
その上で、3年目はチャンスの年になれば良いなと思うわけで。
まずは基盤作りをしている段階なので、コンクリートを作る前の砂のような状態です。
情報の山からたくさんの土砂を集めて、それをなんとか精製(スキルアップで身につけて)して、
まず材料をしっかり持つ。
人によっては、のんびりしている私よりスピードが早い人もいっぱい居ると思いますが
最終的には、自分を信じるしか無いですね。
お客様を信用すること、信用できるお客様を持つ事、信用に足る自分自身を築く事、お客様に信用していただけること。
目標はただそれだけなので、あとは自分次第と思っています。
やらなければ行けない事がいっぱいあるんではなく、やれる事がたくさんあるという事を、幸せに思います。
桜も満開の頃、貴社ますますご清栄のこととお喜び申し上げます。
平素はひとかたならぬお引き立てを賜り、厚く御礼申し上げます。
さて、本日4月1日、サン・エンジンは開業から1周年目を迎える事ができました。
開業より、至らない点も多々あったと思いますが、なんとかこの日を迎えられましたことは
ひとえに皆様の平素よりのご愛顧の賜物と思い、深く感謝致しております。
サン・エンジンは、より一層の精進を重ね、皆様にご用立ていただけるよう努力をする所存でございます。
どうぞご指導ご鞭撻の程、賜りますようお願い申しあげます。
皆様のより一層のご健勝とご活躍を、心よりお祈り致します。
2009年4月1日
SUN ENGINE
代表
傾聴クラブの定例会に出席しました。
本日は男性の方が傾聴に関しての講習会のようなものを開いてくれていました。
心理カウンセリングや、痴呆症の問題、様々な事について話され、みんなメモを取る等して勉強するスタイル。
専門的な、とても良いお話をいただきました。
さて、講習会が終わり、その講演の方は席を立たれてお帰りになられ、傾聴クラブのメンバーの方による内容の反省会と通常の交流会が開かれました。
そこで、クラブの先輩の方たちがおっしゃられたのは
「今の方のお話は専門的になりすぎましたが、傾聴ボランティアは、カウンセリングとは全く違います。むしろ専門的な知識は要らない。お相手の方が今痴呆症の何のレベルかなんか考えなくていいんですよ。
ただ、人と話すとすっきりしますでしょ?誰だって人と話がしたい。痴呆症の方だってそれは一緒だと思うんです。もちろん同じ話を何度も繰り返されますので、聞くには体力がいる時もありますが、私たちができることは、真剣に相手の話を聞く事、これだけです。そして、それで十分です。
大事なのは、一歩踏み出すこと。まず何かはじめてみることですよ。」
会場のムードが一気に、ふわっとやわらかくなりました。
その方は流石に傾聴の先輩であられるとともに、笑顔で力強い話し方を聞いていても、頼りになりそう、なんでも話せそうといった雰囲気をもっていらっしゃりました。
話はただ聞けば良いというわけではないんですね、その方の言葉には力がありました。
受け入れる体制ができている人の心というものは、その人全体を包むオーラになって現れるものなんですね。ただのサンドバッグ的な聞き役ではなく、しっかりとした人間性があってこそ話をしていて気持ちがよいと思える。話しを聞くだけでも爽快感がある。
おそらく心理学の本を読んだり、カウンセリングの資格を得るための勉強は私もいくらでもできるでしょう。
私はよく「へりくつをこねる」と表現されてしまうくらい、細かい事、難しいことを説明するだけは身に付けてきてしまいました。
私がボランティアで学びたかったのは、その傾聴クラブの先輩のような、頭で考えるのではなく、心と身体で表現する愛情だったり、心遣いです。
難しく考えず、まず手を差し出す。
私は、ボランティアはどこかうさんくさいと思っています。
いい人アピールも気持ち悪いなって思ってしまいます。
私は自分が良い人であるとも思いません。
しかし、傾聴クラブでも、おそらく他のボランティア団体も、年々高まる需要があるのに人手は不足しており、私のような何もできない人間でさえ、有り難いと歓迎してくれる人たちが待っています。
傾聴ボランティアの人たちは、私より10も20も30も年上の方たちです。ボランティアのお相手の方たちはそれ以上に人生の先輩です。
お金をいくら払っても得られない、心の勉強ができる素晴らしいチャンスを、できるだけ大切にできたらいいなと思います。
数日前に、風邪と思われる症状で、のどの奥が痛くなっていたのですが、昨夜急に夜中に耳の奥に激痛が走り、とても寝られるような状態じゃなかったので飛び起きてネットで症状を検索したら、どうやら「急性中耳炎」というものの症状に一致しました。
耳の奥に五寸釘でも刺さっているかのような激痛がします。
朝一で近所の耳鼻科に行ってこようと思いますが、急な仕事などに追われていない時期で本当に良かった。
中耳炎は、ウィルス性の風邪+花粉症のための鼻水の増加が原因だったようですが、本当に「痛み」というものは、、、、、。
そういえば、ご存知でしょうか。
魚は、痛覚が無いらしいです。
正確に言えば、痛覚が無いという説と、あるという説で抗争中のようですが、痛覚が無いという説の内容は「脳に痛みを感じる場所が無い」からだそう。
現在では、「かわいそうだから」という意見でもう見かける事は無くなりましたが、
私が小さいころは、技術のある板前さんが、魚の身の部分を魚が生きたままの状態で切って落とし、神経と骨だけになった魚を水槽に戻して、魚が平気に泳いでいるというパフォーマンスをやっていたと記憶しています。
実際、魚になってみないと、痛いのか痛くないのかの証明はできないとは思うのですが、今日のように激しい痛みを覚えている時、すぐ治療できる方法が無いとして、この「痛み」という感覚が自分でコントロールできるものだったらどんなに良いかと思いますね。
パソコンの音量のようにミュートにできたらと、痛い(体に危機が生じている)のはもう分かったから、せめて病院が開く時間までは寝させてくれ〜って(笑)
最近、寝ぼけてロフトから転落するわ、街を歩いていると自転車に激突されるわ、生傷が絶えないのですが、こう立て続けだと、もういっそ返ってなにか良い事の起こる前触れってことに解釈しようと思います!
本当にもう、大変です。。
みなさんもご存知の円周率、3.12〜でスーパーコンピューターでも計算しつくせない終わりの無い数字です。
それを、音楽にすると、こんな感じ
円周率 Pi
ものすごく美しいと思います。
数字は、単なる自然の計測値なのに、人間が想像力を尽くして作った音楽と同じ法則があるかのようですね。
以前、カナダに住んでいた時に、ある医学生と知り合いになりました。
彼は、裕福な家の出身らしく、何カ国語もの言葉を勉強し、はては個人所有のセスナを自分で運転するために航空免許を取っている最中という、とても元気な青年でした。
彼は、医学生でありながらも、大学で「哲学」を専攻しているということを言っていました。
私は大学のシステムが良く分からなかったこともありますが、医学生なのになぜ哲学を?と疑問に思い、彼と「哲学の意味」について話した記憶があります。
私は、自分はWEBデザイナーであるので、普段勉強することは主に仕事関係のことばかり。
読む本も、実用書がメインで、あまり文学や哲学というような、何の役に立つか分からない本は読まないんです、と言うと、彼は「哲学こそが全ての仕事に役に立つんじゃないか」と言うのです。
私は、こうも言いました。
特に中国人や、日本人、東洋の人は拝金主義というか、なんでもかんでも儲け話に結びつけてしまって、きっと私が看護士になりたいと言えば、親は学校に行くお金を出してくれるけれど、私が哲学を勉強したいと言っても、それが将来なんの仕事に繋がるか明確ではないので、親はやめなさいと言うでしょう、と。
彼の説はこうです。
「でも哲学を勉強すれば、看護士にだろうが医者にだろうが、社長だろうがなんにだってなれるじゃないか」
それから日本に帰国し数年が経ち、私は最近、WEBデザイン以外の勉強に熱心に取り組むようになりました。
私にはまだ、WEBデザインの勉強を極めるまでの勉強もせず、他のいろいろな勉強をしたり本を読む事が、果たして自分のWEBデザイナーという職業の役にたっているのかは自信がありません。
それは、本業であるWEBデザインの勉強が足りてないと感じるからなのかもしれませんが。
しかし、今はようやく、「自分」と「WEBデザイナー」という職業に、ある境ができてきたことを感じられるようになりました。
それまでは、余裕が無かったため、「自分というWEBデザイナー」を成長させるために一生懸命で、「WEBデザイナーである自分」の成長は見落としていたんですね。
まず「自分」という基礎があれば、「WEBデザイナー」という職業を外から客観的に把握でき、より活かす方法を考える事ができる。そのためにはもっと「自分」という基礎力が必要だったんだと、思えるようになりました。
おそらく、そもそも「私がWEBデザイナーをやりたいからやっている」という主体性のある人には、こんなことは当たり前であり、わざわざ考えるまでも無い事なのでしょう。
私は、いつからか自己実現=仕事と深く絡まってしまっていて、生活のために、仕事をまず優先させてきた結果、仕事以外が本当に見えない人間になってしまいました。
20代の頃は、その人がどんな仕事をするかが重要でした。
今、30代になり、その人がどんな職業であれ、その職業を誰がやっているか、それが重要なのかもしれないと思うようになりました。
お客様の役に立ちたいなら、WEBデザイナーとしての技術があるのは「当たり前」以下のなにものでもありません。しかし、その場その場限りの、お客様の案件だけに答えを出すデザイナーは、いくらでも居るんです。
もしプラスαのデザイナーになりたいのであれば、「自分」を持つ事なのかもしれませんね。
お客様も、案件という荷物を抱えた、ただの人間で、私も、デザイナーというお面をつけた、ただの人間。
私が人間として成長したいと思うように、お客様も、成長したいと思っているはずなんです。
お客様ご自身が成長していく過程に、私が居合わせるには、プリンターやカメラなどの機械的なその場に置いてある「物体」じゃなくて、お客様と会話ができて、影響をお互いに与え合える「生き物」であることが大切なのかもと。そんな原始的なことを、なぜか私は気づかずに長いこと「高性能なプリンターやカメラ」をただただ目指して来てしまったように思います。
最初の10年、自分がデザイナーだという自覚ができるまでに3年かかり、自分がデザイナーとして一人前(ちゃんと売り上げに貢献できている)と思えるまでに5〜6年かかり、自分がどこへ行ってもデザイナーであると自信が身に付くまでに10年かかりました。
スピードは個人差があります。私は決して早くも遅くも無く、自分のペースでやってきた結果、11年目にして、「デザイナーでもある自分」と、ようやく、デザイナーという職業をひとつの自分の「顔」として、確立できてきたのかもしれません。
私は、「どの会社に入っても、自分がデザイナーとしてちゃんと仕事はできます」という自信があります。
次は、「どんな仕事をしていても、私は私です。」といえるくらい、自分に自信を持てるまで、自分についてもっと興味を持って、いろいろな経験をしていきたいです。
とってもスローペースではありますが、こんな私でもちゃんと、お客様の前に、まず「ただの人」として見ていただけるように頑張ります。
「焦らず急げ」
誰の言葉かは知りませんが、有名な良い言葉があります。「急がば回れ」とも。
「お客様の役に立つ事」=「自分の幸せ」であるのであれば、また逆も成立するはずなので、
私はもっと「自分の幸せ」について深く、広く、大きなキャパシティを持った方が良い、それが、間接的にお客様の幸せに繋がる。そう、学びました。
この間、31才になったのですが、仕事というお面を置いて社会を見渡せば、自分がどれほど無力で小さく頼りないかを感じ、また、その分、中学生に戻ったかのように、ひとつひとつに新しい発見と驚きがあり、自分の成長を感じています。
まだまだ薄い味の無い喜びですが、もしかしたらこれが「楽しい」と呼べる感覚なのかもしれません。
この「楽しい」を大事に育てることが、私の仕事にも人生にも一番欠けていて重要な部分。
と、専門書の山と、溜まりに溜まったTODOリストを無視して、今日も今日読みたいと思う本から着手する自分に対しての言い訳なのでした。
ホームページとは、その名前の通り、お客様の企業に取っての「家」です。
外観デザイン、内装デザイン、居住性、クライアント様のこだわりのポイントを全面に表現し、デザインに落とし込んで行きます。
ある意味、お客様(クライアント様)の自己満足とも言える形をご提供することを、企業のホームページ制作に求められていると感じる事も多いです。しかし、自宅のようなものですから、それはそれで意味が有ります。
基本的な機能を備え、高いデザイン性のホームページは、企業の従業員様の愛社精神を高め、企業のブランド力に箔を付け、信用を高めます。つまり、外にむけたツールというよりもむしろ社内や、すでに顧客と成っているユーザーに向けたツールとしての存在意義があるのです。
その点、ECサイトは、「店舗」です。
クライアント様にとっての居心地の良さ、クライアント様目線でのこだわりの追求ではなく、あくまでもユーザー視点に立っての満足度の追求が要求されます。
それは単に美しいデザイン、かっこいいサイトを作るという目的とは根本が違います。
むしろ、無駄な装飾デザインに凝るよりは、お客様が目的から迷わず、安心できるサイトを作るために、簡素なデザインをご提案することもあります。
(よく、一切の無駄を省いてテキストと商品写真のみのECサイトを見かけますが、そういうサイトの場合、ユーザーがリピーター化しにくいという問題があるために、弊社ではおすすめしていません。そういうサイトですと、短期的な売り上げアップにはなりますが、長期的な視点から、商品や企業イメージを信頼あるものにし、リピーターを増やす事によって企業ブランド力を高めるために、やはりある程度のデザイン性や基本的なコンテンツページの作成をお勧めしています。)
そして、クライアント様がリスク回避の視点からあまりやりたくない、公開したくないとおっしゃられるような情報をこそ公開していく必要性があります。
私は、ECサイトを構築する場合は、デザイナー視点ではなく、マーケティングの視点に立ってサイトをご提案するために、お客様(クライアント様)があまり好まない手法をご提案することがあります。
その最たるものが「お客様の声」の受け入れです。
「クレーマー処理」などしたくない、ネガティブなユーザーからの意見はなるべく聞きたく無いというのがクライアント様の本音かもしれないのですが、お客様のご意見を気軽に書き込んでもらえるというシステムこそが、インターネットの一番大きなクライアント様にとってのメリットであるということをご説明しています。
人間は、怪我をすると痛みを感じます。
誰だって、できれば、痛みを感じながら生活したくありません。
しかし、痛みを感じなければ、怪我を恐れることも、怪我をした部分を保護する事も知らず、小さな傷口から化膿が始まり、いつか腕一本、足一本丸ごと腐って切断、もしくは体全体を蝕み、生命を脅かすことにもなりかねないのです。
お客様(ユーザー様)のネガティブなご意見、これこそが「痛み」です。
お客様がお怒りになる場所は、サイト(もしくは企業)の問題部分です。
まずそれを聞く事、そしてそれに誠意をもって対応し、問題を解消していくこと。
これができるサイト作りができれば、そのサイトは単なるホームページやショッピングカートの枠を越え、クライアント様にとっての重要なマーケティングツールとなるのです。
お怒りを訴えられるユーザー様こそが、不満を適切に解消する事によって非常にロイアリティの高い顧客となることは、数々の事例で語られている通りです。
そして、ユーザーの高い支持を得るための、問題箇所の修正の積み重ねが、サイトの収益アップへの一番の近道となります。1人のユーザーが声を発してくださるということは、100人以上のお客様の不満を表してくださっていると思うくらいに貴重なご意見なのです。その部分を修正することは、非常に大きな意味を持ちます。
にも関わらず、已然、ユーザーからの声をなるべく避けようとしたり、隠そうとしたり、その場限りの対処法で真の解決をせずに問題を放置しようとしているサイトは多く存在しています。
集客にSEOが重要だと叫ばれて久しいですが、SEOやSEMでいくら集客しても、ユーザーが本当に欲しいと思えるような商品があり、ユーザーがストレス無く買い物ができるシステムになっていなければ、いくら集客してもサイトの効果は高まらないと思います。
それは、例えば、私がこのサン・エンジンのサイトを一所懸命に告知し、アクセス数を増やしても、私の制作能力などがお客様にとって魅力のあるものでなければお仕事の受注にいたらないということです。
まず、私はクライアント様にご提供できる技術を高めて、クライアント様のニーズを真に満たすことのできる業者になることから始めなければいけない、そういう根本的なことから目をそらし、サイトのSEOだ、サイトのデザインだとあれやこれやこだわっても長い目で見て自分自身もクライアント様もどちらも幸せにできない、ご満足いただけないということだと思います。
サイトは、あくまでお客様にとってのツールです。
なんのためのツールにし、何を目標に設定するのか、もちろん弊社でしっかりご提案もいたしますが、まず、お客様自身が考えられ、事業として計画性をもってサイトを構築/リニューアルすること。その姿勢がサイトに現れれば、必ずユーザーの心に響く企業ホームページやECサイトになると思います。
産まれて初めての青色確定申告が完了しました。
なんだろう、この開放感。年明けから引きずっていたものすごい量のアカが取れたかのような。
例えていうなら、センター試験を終えた受験生の気分です。
そしてまだ入試(年金とか住民税とか事業税とか保険料の納付)は残っているんですけどね。。。
それにしても、疲れ切りました。
一通り終わってみれば、一つ一つはたいした事ないはずだったんですが、
私は元来、なによりも数字に弱い。社会のしくみにも疎い。
引っ越しもあったので、2つの税務署、区役所、保険事務所をかけずりまわり、
取引先に必要な書類やらを電話をかけまくって取り寄せ、、、、
結局受付の最終の週になってしまい、税務署では長蛇の列に並ぶことになりました。
しかし、こんなに手間がかかったのも引っ越しや開業の手続き、
設備投資がたくさんあったりと、初年度ならでは。
今年分の確定申告は断然楽になるはずー!e-taxでやるぞー!
と誓ったのでした。
そして本当にあと半月ほどで開業一周年。
わー、間に合わない、いろいろと、間に合わない。
頑張ります。
自宅が、電波が悪く、ラジオがうまく聞けない場所なのですが、これまで、「ネットラジオ」で検索しても、個人の方の自営ラジオとか、そういうのしか引っかからなく、しょうがないので同じ曲をヘビーローテーションで聞いていたのですが。
キーホールTVってご存知でしたか?
http://www.v2p.jp/video/
もしかして、ものすごい私、遅れてました?
ダウンロードして、ダブルクリックで起動するだけで、フジテレビやらテレビ朝日の民放はもとより、各種ラジオなどが普通にパソコンから見られるようになります。
なんだ!こんなに簡単だったのか!
GPLとは、フリーソフトウェアのライセンスの一種です。
きっと、一般には何の事かさっぱりわからないでしょう。
私も、それほど詳しいとは言えませんが、専門用語ばかり並んでいるGPLの解説を、やわらかくまとめてみました。
プログラムというものは、人間が記述したソースという文章をコンピューターを通して、いろんな動作を画面上で行うためのものです。
プログラマーという人々は、毎日せっせとソースというものを記述し、コンピューターを賢くしていきます。
その、プログラマーという人々に、あるとき1つのグループができました。
そのグループは「これからは、私たちプログラマーは世界中で知恵を共有しあい、進化していきましょう!」と言い出しました。
それまでは、ソースという、プログラマーが書いた文章は、ブラックボックス化されていて、書いた本人のプログラマー以外には読む事ができないとされており、万が一そのソースを他人が盗んで再利用したら、著作権違法によって罰が与えられるのが約束だったのです。
でもそれだと、プログラマー同士の優秀なソースは、なかなか共有できず、後世のプログラマーが育たないし、コンピュータープログラムの進化も鈍ってしまいます。
GPLを起こしたグループは、「ソースを開示しましょう」という約束のもとで、誰もがソースを見られ、またそのソースを改変して再利用したプログラマーにも同様に、ソースを開示するという約束を作りました。
それがGPLというライセンスです。
誰でも自由に参加でき、修正させていくことのできるソースは、他の企業1社(最大でも数百人のプログラマーの開発規模)よりも、GPLに賛同する世界中の数万人ものプログラマーの手によって、どんどん進化していき、あっというまに世界中に広がりました。
それまでは、利益を独占したいがために、ソースを公開しないといっていた企業たちも、そのソースを利用していかざるを得ません。そうすると、そのソースを利用した時点でGPLのライセンスに従って、ソースを開示しないといけないものですから、ブラックボックス化による利益の独占はできなくなりました。
このライセンスのあり方により、企業が1度作ってしまったソフトウェアにより長年儲けを持続させて利益を独占できなくなり、(なんせあっという間に他の企業もそのソースを改造してよりよいソフトウェアを作り出してしまう上、それが無償配布するという約束になっているので)若いプログラマーにとっては、より学びやすい環境が手に入る事になり、プログラマー全体の利益を産んでいると思います。
しかし一方では、プログラマーに安泰の日々は失われ、日々進化し続けるソースを追いかけるという使命がより強くなり、ソースの進化を産むために一生でも努力し続けることが求められてしまうので、職業としての安定は失われたかもしれませんね。
本でいう「印税生活」のようなものはGPLライセンスではなくなってしまいますので。
しかしGPLは、社会全体で見れば、一般の人々がそれと気づかない間に、ソフトウェアを進化されている上に、それがフリーとして利用できるという、非常にありがたいものではあります。
それと、デザイナーとしては、デザインというものは開示義務なんてなくったって、誰もが見られて、真似できるものです。
だから、同じデザインは一つとして無いし、案件ごとに毎回悩み、苦しむわけです。
それまでは、企業のプログラマーは、ソフトを一度作りさえすれば、あとはコピーしたソフトを何万本も売って長い事利益を得ていけました。
そこに不公平を感じなかったわけは無かったのです。
デザインだってコピー販売はできますが、みんなと同じ柄のTシャツを着たいと思う人がいないように、各クライアントごとにぴったりのデザインを行うために毎回新しいものを作らざるを得ません。
もちろん流行のテイストや主流となるフォーマットのデザインは存在しますが、人の手間がかかるのは同じです。
プログラマーも、それと同じになるということなのではないでしょうか。
無償のソフトウェアを使うので、ソフトウェアの販売という形では利益が得られません。
その案件、クライアントごとのカスタマイズ料金として、作業料のみが発生するのです。
(実際はデザインに比べればまだまだ有利に流用販売ができていたとしても、一応それがある程度規制される形にはなったということですが。)
あ、結局また専門的な難しい話になりそうなので。今日は以上で。
iGoogleで使っていたTODOリスト、しょっちゅうデータが消えてしなきゃ行けない事を思い出せない・・
そこで検索したら出て来たサイト
http://www.checkpad.jp/
これいいですよ。
ようやく、生活が落ち着きを取り戻し、ふっと振り返れば、去年の目標の達成できたものは半分以下でした。
当たり前の事を見直す時期です。
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仕事で、Movable Type の最新版を使っているのですが、困りました。
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思考は、1杯のコーヒーをいれる事に似ている。
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